平等は不死の夢をみるーボリス・グロイス「ロシア宇宙主義」を読んでみた
ロシア現代思想関連書を読み続けています。
ナショナリストのドゥーギン(プーチンの脳と呼ばれている)、コミュニストのマグーンを読んだので、今回はリベラリストのボリス・グロイスを読みたいと思います。読むのは、「ロシア宇宙主義ー不死の生政治」(上田洋子訳 雑誌『ゲンロン2』2016年に収録)です。
ロシア宇宙主義
ここでの宇宙とは調和がとれ、秩序がある状態であるコスモスを主に指していますが、宇宙旅行の宇宙の意味も含んでいるようです。そしてロシア宇宙主義とは、スティーブ・ジョブズなどに影響を与えたカリフォルニアイデオロギーや最近ではシンギュラリティ論の起源と言われています。
このようなロシア宇宙主義はなぜ誕生したのでしょうか。
ニーチェが言ったようにキリスト教の歴史が終焉し、神が死にました。そこで二つの考え方が生まれました。
ひとつめ。
ふたつめ。
また、グロイスは現代国家では、フーコーのいう生権力が作動しているといいます。生権力とは、パノプティコン的規律訓練の内面化と群れとしての人間の管理のことだと思います。生権力以前の古典的権力とは死なす権力(不都合な人間を殺す力)だったけれども、現代では生かす権力にかわりました。
この条件下では、ひとつめの考え方の場合、自然死とは生権力の臨界点になります。つまり自然死は権力が及ばない私的領域ということになります。では生権力が自然死に抗うとしたらどうなるのか。すでにロシアには個人の不死を国家レベルで考えた思想家がいました。フョードロフです。
フョードロフ
フョードロフの影響力はすさまじく、彼の読者にはトルストイ、ドストエフスキー、ソロヴィヨフがいました。
カリフォルニアイデオロギーやシンギュラリティ論にも影響を与えたと言われているフョードロフ。唯物論的で、技術至上主義から万能者になるというのは多くの人が抱く欲望なのかもしれません。
いっぽうで社会主義理論には、平等と進歩という矛盾する目的が内包されていることが問題になります。超重要かつおもしろい論点なので長めに引用します。
では平等の約束を守るために社会主義はどうするのか。
平等であるためには論理的に不死でなけれならない。だからすでに死んでしまった人々を復活させなければならない。私たちはふだん、平等であることを社会に要求するけれど、あまり平等のことをわかっていなかったのかもしれません。結局、自分が不利な立場になったときだけ平等を要求しているような気が…。つまり求めているのは平等ではなくて、自己の優越。つまり平等を求めているとき、実は、平等とは反対の自己の優越を求めている。そうならないためには死者を復活させるしかない。
でも確かドストエフスキーというか『カラマーゾフの兄弟』のイワンは、たとえ死者が復活しても、今ここで被っている苦しみは決してなくならない、だから完全な平等は永遠にやってこない、というようなことを言っていたような記憶があります。さすがドストエフスキー。
とにかく、フョードロフは人工的な死者の復活を目指します。そのひとつが博物館によるアーカイブ化です。提言がまともで良かった。(本当に生き返らせるのかと思ったよ)さらにいえば、芸術の目的とは過去の保存や復活であるというようなことも言っているようです。
ところで生権力を発見したフーコーは博物館について何か発言していないのでしょうか。
フョードルフは生の空間と博物館を統合しようとします。その統合策が面白い。
スマホとかタブレットはこの要請に従って登場したのかもしれませんね。日常の生を徹底的に録画・録音することによって時間を堆積し、生を博物館化する。
宇宙主義と平等
フョードロフの思想は、ニーチェのニヒリズムを乗り越えようとして出てきたらしい。ニーチェは神の死を唱えたけれども、これはつまり理性の死をも意味していました。
しかしこの発想は、理性とはそもそも物質世界に属さないと考えているから生じるのであって、宇宙主義者はそもそも唯物論的に考えるから、脳の働きだけがあって、その効果として理性のようなものがあるとみなします。
理性とは効果に過ぎない。
次に、政治形態についての議論に移ります。
冒頭で、神の死によって生まれたふたつめの考え方に「中央集権的な世界国家こそが、このような条件を実現する手段となるべきだ」とありましたが、これが正しいのか検討されます。
「連帯と集団的なプロジェクトへの参加」。うーん。イメージできない。グーグルやアップルの方がイメージできますが、両者の内部構造が平等かどうかはあやしいと思います。でも実現方法としては、中央集権にして、中央に君臨する人の下での競争とするか、あるいはコミュニケーションをなくして競争自体を見えなくするか(そんなこと、できるのか?)しか思いつきません。
平等って、ちょっと実現するのは無理な気がしてきました。
議論は、ロシア・アナーキズムを出自とした不死論者である生宇宙主義者たちの主張の検討にうつります。彼らのマニフェストに書かれている個人の本質的な権利とは以下のふたつです。
1)存在(不死、復活、若返り)の権利
2)宇宙における移動の自由の権利
やはりここでも不死が要求されます。
時間が有限だからこそ所有という概念が生まれる。私有財産によって持てる者と持たざる者が生まれる。つまり平等を実現するためには無限の時間を手に入れなければならない。言い換えれば不死を手に入れなけれならない。仮に物理的な不死を手に入れてしまうと、みなが地球に住むことは不可能になるので、宇宙に出ていかざるをえなくなると思います。でも心配ありません。不死を手に入れているので、私たちはインターステラー空間を手に入れることができます。でも多くの人間を宇宙に出すためには、重力の謎(=ブラックホールの謎?)を解明する必要があったような気が…。(映画『インターステラー』からの受け売りです)
平等を求める=>不死を実現する=>私有財産がなくなる
=>インターステラー空間へ
実は、宇宙主義なんて聞くとトンデモなんじゃないかと薄々思っていましたが、厳密に平等を考えると、宇宙に出て行かざるをえなくなるのですね。逆にいうと宇宙主義がトンデモなら、平等主義も同じようにトンデモなのかもしれません。
そして宇宙における移動の自由の権利について言及しているのも抜かりがありません。カントは永遠平和のためには国家間を移動する権利が必要だと言っていたと思います。不死を実現し、私有財産がなくなると、空間の境界(=私有財産)がなくなるので、とうぜんインターステラー空間の移動が自由になります。ということは宇宙的平和が実現されるのかもしれません。
ここまで思弁的に考えてきましたが、科学・技術にも影響が出ています。宇宙主義信奉者のツィオルコフスキーはロケット工学分野で貢献したらしい。また、ボグダーノフは輸血によって若返り、不死を実現しようとしたけれど、自身による輸血が原因で命を落とします。命懸けで不死を手に入れようとしたのですね。宇宙的平和が実現するかもしれないと考えたら、命を賭けるのもなんとなくわかるような気がします。
ところで本論文では、残念がらドストエフスキー問題(たとえ死者が復活しても、今ここで被っている苦しみは決してなくならない)の解決策は示されません。今のところ、何の解決策も浮かびませんので、今後考えていきたいと思います。
いやいやそれよりもまず不死について考えたいと思います。なんかとんでもない副作用があるような気がします。価値観とか哲学とか一新されるかもしれません。今までの価値観や哲学のほとんどは、人はみな死ぬ前提で築かれてきただろうからです。