介護の言葉②「一人で抱え込まない」
このシリーズ(やたらとシリーズ化してすみませんが)では、「介護の言葉」を取り上げて、改めて、考えてみようと思っています。今回は、第2回目になります。どちらかといえば、家族介護者ご本人というよりは、支援者、専門家など、周囲の方向けの話になるかと思います。よろしかったら、読んでもらえたら、ありがたく思います。
第2回目は「一人で抱え込まない」という言葉について、考えてみようと思います。
「一人で抱え込まない」というのは、もちろん「介護を一人で抱え込まない」ということですが、今でも、様々な介護の現場で、そのような言葉が、善意と共に家族介護者に向けられているかもしれません。
この言葉は、あまり疑問ももたれず、かなり一般的に使われるようになった印象があります。そして、この言葉を使うのは介護支援の専門家の方が多い印象があり、その方々の支援への意志について、疑うわけでもなく、クレームをつけたいわけではありません。ただ、この「一人で抱え込まない」も、第1回目の「介護離職」と同じく、使うタイミング、向ける相手の状況によっては、意図と違った働き方をしてしまう可能性があるので、改めて、慎重に考えていきたいと思います。
1. 「一人で抱え込む」とは、どういう状態なのか。
家族の介護をしている家族介護者が、主に一人で、デイサービスやショートステイや訪問看護なども利用せず、ただひたすら在宅で介護を続けている状況を指すことが多いかと思います。
確かに、こういった状況では、家族介護者にかかる負担があまりにも大きく、介護者が病気になってしまったり、介護者が虐待をしてしまったり、最悪の場合は介護殺人・介護心中の危険性まであるので、支援者から見たら、避けたい状況であるのは、間違いないと思います。
場合によっては、「共依存」という言葉が向けられ、さらに危険性が強調されることもあります。この視点から考えると、この「一人で抱え込む」ことは、まるで間違っていること、場合によっては、愚かな選択にさえ見えても仕方がないのかもしれません。
2. 「一人で抱え込む」ことは、介護者自身によって、積極的に選択されたのか?
ただ、それが、家族介護者自身の積極的な意志での選択かといえば、その実例も、少ないのではないかと思われます。
介護が始まる前に、たとえば家族や親戚の間で、誰がどの程度負担するのか、といったことが話し合われている場合は、かなり稀ではないでしょうか。それも、当然のことで、忙しい毎日を送る場合には、介護のことは忘れがちになります。もし、親や家族が元気だったら、実際に病気になったり、倒れたりしなければ、本気で介護のことを考える人のほうが少ないはずです。
ですので、介護をするのは、その時に近くにいた人、そして、介護をするのに一番手があいていると思われた人で、その人が介護を始めると、多くの場合は、その人に介護を任せて、手を引き、他の方々は、普段の生活を営もうとするのが、自然です。
そうなったら、その「一人」が介護を続けることになります。しかも、被介護者の方が、デイサービスなどは行きたくない、ということも少なくありません。その意志を、介護者が尊重することになれば、結果として「一人で抱え込む」ことになります。
これは、特定の誰かの話ではなく、かなり多くの例として見られることだと思います。
つまりは、介護を「一人で抱え込んでいる」介護者は、結果として「一人で抱え込まざるを得なくなった」介護者のほうが、圧倒的に多い可能性があります。
それは、支援者であれば、おそらく数多く、目にされている状況ではないでしょうか。
3. 「迷惑をかけられない」が結果として「一人で抱え込む」につながるのかもしれない。
たとえば、ご高齢ご夫婦のどちらかが、不運にも認知症になられたりした場合は、もう一人の配偶者が介護をすることが多いと思います。そうした場合、もしお子様たちがいらっしゃったとしても、別世帯だったり、家庭を持っていられたりすると、「子供達に迷惑はかけられない」と語り、なんとか自分だけでやっていこうとすることも少なくありません。
それも、場合によっては、外部サービスを使うことに抵抗があるとすると、「一人で抱え込む」状況になってしまうかもしれません。ただ、「迷惑をかけられない」という考えは、ある意味では尊いものでもあるので、このことを一概に否定もできないのではないでしょうか。
4. 「一人で抱え込まない」と言われた時の気持ちを推察する。
2 の場合にしても、3 の方達としても、いろいろな条件は重なったとしても、結果として「一人で抱え込まざるを得ない」状況になった方々に、支援者、もしくは周囲の方が、完全に善意で、「一人で抱え込まないほうがいいですよ」と伝えたとしたら、どのように思われるでしょうか。
「一人で抱え込まざるを得ない」状況にいる家族介護者で、できたらデイサービスも使いたいけど、その介護を受けている家族が嫌がるし、だから、一人でみている。出来る限り、これで続けたい、という方も少なくない印象です。その方々にとっては、「一人で抱え込まないほうがいいですよ」と言われたら、今の自分の介護状況を否定されていると思っても、おかしくありません。
それでも、表面上は「わかりました」といった言葉を返したりすることも、考えられます。特に専門家には、権威もあり、その専門家自身の姿勢が謙虚で立派なものであったとしても、介護者からの意見は、なかなか言いづらい時もあります。でも、「一人で抱えこまないほうがいいですよ」と言われ、自分のことを理解されないと感じたとしたら、次からの支援を受けることを、家族介護者側から、断ってくる可能性もあります。
そうした家族介護者に対して、拒否的な態度、という見方をする専門家もいるのかもしれません。
5. では、「一人で抱えこんでいる」ように見える家族介護者に、どうすればいいのか?
まずは、他の介護者と同じように、今出来る支援をして、その家族介護者が、少しでも負担や負担感が減るようにしていくしかないのだと思います。私が、そのように言うのも、偉そうに聞こえて、申し訳ないのですが、そうした支援を続けて、信頼関係が結ばれていけば、それだけで、すでに「一人で抱え込んでいる」状況からは、遠ざかっているのではないでしょうか。
大事なことは、支援者が関わり続けることで、少しでも家族介護者の負担や負担感が減ることだと思います。介護者の意志も尊重し、その上で、介護負担を減らすことを目的に関わり続けると、そのうちに、介護者が、自然と、介護サービスを使い始める可能性もあります。
支援者側に、「一人で抱え込んではいけない」という思いが強すぎると、無意識に〝介護サービスを使って、誰かの助けを借りること〟を誘導するような気配が出てしまいがちです。そのことで、家族介護者から、敬遠される可能性すらありえます。そうではなく、今の介護の方法、介護の生活を尊重すれば、それで、信頼関係が生まれる確率は高くなると思います。
6. 「迷惑をかけられない」場合に、有効かもしれない方法
「迷惑をかけられない」と、たとえばお子さんたちの関与をさせないようにしている方々に対しては、もしかしたら、有効かもしれない方法はあります。
「介護力を揃える」という言葉を使うと、少ない確率ですが、少しずつ、お子さんたちに相談を始めてもらえるかもしれません。
介護をされている方は、毎日、ご自分が気がつかないとしても「介護力」があがっています。それは、食事介助、排泄介助、入浴介助といった目に見える「介護力」だけでなく、被介護者のちょっとした変化によって、何を手助けすればいいのかわかる、といった目に見えにくい「介護力」もあがっていきます。
「迷惑をかけられない」として、お子さんたちに、愚痴もこぼさなければ、相談もしないという状況が続くと、介護者の「介護力」は上がっていきますが、お子さんたちの「介護力」はまったく向上しないままです。
その場合でも、たとえば、主介護者が何かで倒れた場合、もしくは、そこまでいかなくても病気になり、どうしても介護を誰かにしてもらわなくてはならないことが発生する場合もあります。それが休日であれば、すぐに外部のサービスを使えないこともあり、その時に、お子さんたちに頼らざるを得ないこともあります。それを主介護者が望まなくても、いざという時に、連絡がいくとすれば、お子さんたちですので、いやでも介護に関わることがあるかもしれません。
そうなった場合に、「介護力」がほとんどないお子さんたちの負担はとても大きくなります。一気に負担がくることで、お子さんたちの気持ちは、そう思っていなくても、それこそ結果としては「迷惑がかかる」かもしれません。
そういった急な出来事にしないために、今から出来ることは「介護力を揃える」ことだと思います。そのためには、具体的に介護を手伝ってもらうのが、一番いいのですが、それに抵抗感がある場合は、まずは、本当に少しずつでいいので、介護で大変なこと。介護で困っていることなどを、お子さんたちや周囲の人に伝えることから始めませんか。
介護の情報に接するだけでも「介護力」はあがってきます。そうなった方が、いざという時に、少しでも任せられる介護者になっていく可能性も出てきますし、そのことで気がついたら「一人で抱え込む」状況からは脱しているかもしれません。…というような、提案はどうでしょうか。
そんなにうまくはいかないとは思いますが、今の介護状況を尊重することから、少しずつ有効な支援が始まると思います。
私が、そんな偉そうな言い方をするのは失礼かもしれませんが、「一人で抱え込まない」という言葉が、歳月が重なるほど、使用機会が増えているようで、それも、その使われる状況が適応していないことで、かえって介護者に負担をかけている事態も増えているかも、と思い、このように書かせてもらいました。
7. では、どういう場合に「一人で抱え込まない」は有効になるのか?
まだ介護を始められていない方々。そうした方に対しては「一人で抱え込む」介護は、負担もかかりすぎるし、虐待の可能性が高まってしまうので、避けたほうがいいです、というアナウンスは十分にすべきだと思います。
そして、それを避けるための、支援の利用法や、周囲の人からの支援をどうすれば、受けやすくなるのか、という具体的なアドバイスとセットで行えば、そうした方々が、実際に介護生活に入った場合に、とても役に立つ情報になるかと思います。
また、これから介護を始めなければいけないけれど、まだ始める直前の方々への提案としても有効だと思います。もちろん、実際には、一人で介護を始めることになったとしても、できたら、いろいろな人の力の助けを借りたほうが、介護者にとっても、被介護者にとっても、望ましい介護生活になる可能性が高いのも事実です。ですので、これも、その介護者が可能な方法を探しながら、結果的に、「一人で抱え込まない」方向へ進めれば、という姿勢で関わるのが有効だと思います。
今回は、以上です。
今回に関しては、特に支援の専門家の方々にとっては、異論がある方も多いのでは、と思います。繰り返しになりますが、介護をしていく上で「一人で抱え込まない」のは、本当に正しいことですし、目指すべきことだと思います。ただ、結果として「一人で抱え込まざるを得ない」状況にいる介護者にとっては、その正しさが、逆に気持ちを追い込むこともあるのかもしれない、ということを、考えていただきたくて、今回は、このテーマで書きました。
ご質問や、ご意見がございましたら、コメント欄などで示していただければ、可能な限り、お答えしたいと思っています。よろしくお願いいたします。
次回は、『介護の言葉③「がんばりすぎないで」』です。
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