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家族介護者の気持ち④「介護者自身の病気・介護うつ」

 今回は、『家族介護者の気持ち④「介護者自身の病気・介護うつ』がテーマです。前回に続いて、重い話になり、申し訳ないとも思うのですが、介護を継続している方々にとっては、避けて通れないことでもありますし、現在も、病気や介護うつに関して、悩まれている家族介護者も少なくないとも思っています。

これから書くことは、「家族介護者の気持ち②」と、「家族介護者の気持ち③」と重なる部分もあるのですが、介護者の気持ちの変化を、改めて、考えていきたいと思います。(クリックすると、その記事にいきます。よろしかったら、読んでいただけると、より理解が深まるのでは、と思っています)。

病気になってしまうような介護の大変さとは?

 介護負担の重さは、一般的には、介護行為として語られることが多いようです。

 たとえば、排泄介助、食事介助、入浴介助「3大介護」などと言われることもあり、確かに介護負担としては、こうした行為は大きいと思います。それでも、そうした行為には慣れると語る介護者も少なくなく、負担はずっとあるものの、実質的な負担感は軽減する可能性もあります。

 介護開始直後に混乱の中に投げ込まれ、そこで消耗したあとに多少復活したとしても、介護を継続していれば、いつまで続くか分からない時間の中で、一日中、途切れることのない緊張の中で生活している方が多くなります。

 そうやって、介護に取組み続け、ずっと続く拘束感もあり、疲労感が蓄積し、疲労が抜けなくなってしまっている場合が少なくありません。仕事に関しての疲労感をイメージされる方も多いかと思いますが、介護が継続するほど、「24時間・365日体制」で取り組まざるを得なくなることが多いので、どんなに忙しくても、少しは休みがある仕事と違い、本当に終わりがない時間の中で生きていることが多くなります。

 まるで、土の中で息を潜めているような、この感覚が、「介護をしないとわからない」と言われるような感覚だとは思うのですが、そうした時間の中で、実際の介護負担が続く中で、いつまで続くか分からない緊張感と拘束感によって、負担がかかりすぎる生活であることは変わりがありません。

 その中で、その負担感や負担が外へ向かうと、前回「家族介護者の気持ち③」で述べた「非日常的とも思える強い感情」として、それは、傍から見たら、異常な怒りに見えることもあるかと思います。

 そして、その負担や負担感や「非日常的とも思える強い感情」などが外へ向かうのではなく、自分自身の内側へ向かうことによって、介護者自身が病気になってしまうこともありえます。それは、シンプルに見れば、介護生活の負担や負担感(ストレス)が重くなり、そのことで身体的な病気になるということでもあると思います。

この「非日常的とも思える」という言葉については、「家族介護者の気持ち③」でも述べたのですが、ややわかりにくいとは思います。

 それでも、介護者の気持ちや感覚は、非日常と切り捨ててしまえば、一般と関係ないと思われてしまいますが、一方で、日常的と断言してしまうには、あまりにも負担が重すぎたり、独特なので、そのような言葉を選択することで、介護者の気持ちは、かなり正確にあらわせるのでは、と考えています。

家族介護者の「自分の健康に関しての感覚」

 いろいろと、少し寄り道のようなことになって、すみませんが、家族介護者の「非日常的とも思える感覚」の中で、もっとも問題になるのが、「介護者自身の健康に関しての感覚」です。

どういうことかといえば、介護を継続している人の多くは、被介護者の体調については、常に気を配り、気をつけているのですが、そのためか、介護者自身の身体への配慮がどうしても足りなくなり思ったよりもダメージを受けているのに、気がつかないことが、ありがちなのです。

 周囲の方々が、そのことを、より気にしてもらえたら、と思っています。もし、介護者自身が大丈夫、と言っても、介護者自身が気がつかないうちに、体へのダメージが積もっている可能性もあります。通常よりも、介護者自身が自分の痛みなどに鈍くなっている可能性も少なくありません。


 これは、まだ自分自身の実感でしかないのですが、個人的に20年介護に関わってきて、介護者自身の病気として、脳と心臓が比較的目立つ気もします。それは命に関わるので、印象に強いということもあるのですが、私自身も、介護を始めて1年くらいたった頃、介護そのものの負担だけでなく、周囲の支援に対する怒りみたいなものもあったせいで、心臓発作を起こしたこともありました。(もしご興味があれば、詳細は、ここをクリックしてもらい、読んでいただければ幸いです)。

 過労とストレスのため、と医師にも言われましたが、心房細動という発作を起こしました。幸いにも私自身は、脳は無事でしたが、この心臓の発作で脳梗塞を起こす場合も少なくないようです。40代くらいの「突然死」の多くは、このパターンです、とも医師に言われました。

 私だけでなく、家族介護者は、それまでずっと介護に専念してきて、実はかなりの負担がかかっているのに、それに気づかず、体のほうがそれについていけなくなるというパターンで病気になることが少なくないように思います。心臓や脳の場合は、一歩間違うと命に関わりますし、ご自分が介護を必要となってしまうこともあります。

 それだけに、周囲の人が、介護者の健康に気を配る必要もあるかもしれません。尋ねても、大丈夫でいう返事が返ってきて、本人としては嘘偽りなく、そうなのですが、体の方が限界になっていることも少なくないと思います

 押し付けがましくなく、介護者の感覚の特徴として、「自分の体の不調にすごく気づきにくくなる」ということは伝えて、少しでも体調への注意を促すことは必要かもしれません。

 本当に倒れるような病気になったら、介護の継続はできなくなり、そのことを、介護者自身は一番恐れている可能性も高いと考えられます。そうなっても、緊急のショートステイなど、対応できることを、普段から伝える機会があれば、自身の体調についても、気を配る余裕ができやすくなるかと思います。

介護うつの語られ方

 まず、「介護うつ」というのは、正式名称ではありません。「うつ」という診断名はつくと思いますが、おそらく介護の負担によってなってしまった「うつ」が、俗称として「介護うつ」と呼ばれています。

 介護殺人や介護心中の予防のことが語られる時に、今のところの多くの見方は、介護者が「うつ」かどうかに気をつけて、そうであったら、すみやかに治療をうけることが大事、といった流れになっています。臨床心理士/公認心理師の私は医師ではないので、診断をすることはできませんが、それは、基本的には、とても正しいことだと思います。

 ただ、それが行きすぎると、こんなことになる可能性はないでしょうか。

「介護うつ」にならないことを最優先するあまり、いつも「介護うつにならないようにね」と家族介護者が言われ続けたら、その事自体が負担にならないでしょうか。介護うつになることを恐れすぎるあまり、そのことばかりが気になり過ぎて、普段の介護負担に加えて、その心配が加わり、かえって、介護うつの可能性が高まることはないでしょうか。

 介護者がちょっと元気がないと、うつではないか、と思って、診察をすすめる。それは、善意でもあるのですが、もしも、それが、介護殺人や介護心中や自殺などのことを心配されてのことでしたら、正しくはあるのですが、それは場合によっては、見守りではなく、監視の視線になってしまう可能性もあります。

 そうなったら、その差し出した支援の手は、はらいのけられて、「とにかく大丈夫」といった答えだけが返ってきて、介護者は支援に対しての不信が高まり、そのことで結果として、より追い詰められてしまうかもしれません。

 「うつ」と診断されたとしても、多くの場合は、介護者はゆっくりできるわけでもありません。他に介護をしてくれる人がいるわけでなければ、「うつ」と診断されたら、介護をやめさせられるのではないか、という心配があり、それで頑なに病院に行くことを拒むこともありえます。


「介護うつ」を、家族介護者は、どう考えているのか

では、どうすればいいのでしょうか。

 とにかく医師に診察してもらわないと。そのことを、介護者が拒むんです、という焦りになっても仕方がないですし、それは家族介護者のことを心配しての善意であるのも間違いないと思いますが、その姿勢は、より介護者に拒まれることも少なくないと思います。

 ただ、もし支援がスムーズにいかないと感じられている時は、遠回りのようですが、もう一度、家族介護者自身の気持ちを考えてみるのは、どうでしょうか。

 たとえば、こんな例があります。長く、家族介護者の研究に関わっている著者の調査です。

多くの介護者が、「病気だ」と見なされるのは嫌だと語ってくれました。鬱病の診断を受けると、介護者は不本意だと感じることが多いのです。その診断によって、愛する人の世話が今までのようにできないかのように、自分を落伍者のように思ってしまうのです

 もしくは、認知症の患者を長年みてきた専門医(斉藤正彦医師)は、こんなことも言っています。

言葉や身体的な暴力があれば『虐待』、医師が診断すれば『介護うつ』となってしまいますが、家族の中で行なわれる介護では、それを一括りに虐待だ、うつだと決めつけてしまうのはどうかと思います。もちろん極端な状況になってはいけませんが、それぞれの家庭の中での関係性を無視した決めつけは、逆に介護をする側、される側にとっての負担を増やすことになると思います。           『「こころのサポート」2011年3月号 』

 「介護うつ」かどうかだけに注目し過ぎてしまうと、このような視点を見失い、返って、介護者に負担を与えてしまうことさえありえます。

介護うつにこだわりすぎない

 もともと、「介護うつ」という診断名はありません。
 私は医師ではないので、診断そのものはできませんが、「介護うつ」はないのですが、「うつ」もしくは「抑うつ傾向が強い」というような言い方をされることが多いと思います。

 繰り返しになりますが、あまりにも、「介護うつかどうか」という視点ばかりになると、「介護うつには気をつけて」「介護うつにはならないようにしてね」などと言われ続けることになり、そのことで疲れたり、もしくは介護者自身が「介護うつにならないように」と思いすぎて、そのこと自体でかえって負担になったりすることもありえます。


 個人的な感覚ですが、私自身は介護者であった頃、心臓の発作も起こし、仕事もやめざるをえなくなり、まったく希望がなくなった状態で、ただ介護をしていて、明るくいられるわけがない、と思っていました。

 その時に、抑うつ傾向を調べられたら、確実に、「うつ」という疑いがかけられると思っていました。同時に、この今だけを見て毎日介護するしかない状態であれば、多少、抑うつ傾向が強くなっている事自体は、介護に適応している結果と思っていました。介護を続けていれば、抑うつ傾向が強くなる環境の中に生きている、ということだと感じていました。

 多少、乱暴かもしれませんが、その後、時間がたって、臨床心理士になり、相談の仕事もするようになりましたが、その感覚は、それほど間違っていないように思っています。

 うつが重い場合は、体が動かず、何もできなくなることも少なくありませんから、何があっても、介護を続けている方が、本当に、うつなのだろうか、という疑問もあります。

 前出のポーリンボスは「認知症の人を愛すること」の中で、認知症の家族を介護している介護者に関して、このように見ています。

私の知見からすると、介護者が慢性的な悲哀を抱えていることが孤立の原因になります。そうした悲しみに恐れを感じて、人々が距離を置くのです。(中略)周囲は悲しみを鬱という名で片付け、孤立から楽にしてあげるような手は何も打たないことがよくあります。

周囲の人が何か力になりたい、と思うのであれば、「介護うつ」になったかどうかを一番心配するよりも、まず、少しでも介護者が楽になる方法を探し、また介護者の今の気持ちを理解しようとつとめ、そのことで孤立感を少しでもやわらげることが、介護者の力になるのではないでしょうか。 

それでも、介護うつが心配な場合

「介護うつ」は、そんなに心配すぎないほうがいいと思います。
 介護を継続していたら、抑うつ傾向が強めになるのも不自然ではないと思っています。
「介護うつ」にならないことが最優先の目標になってしまうと、最初の目標である、納得のいく介護、被介護者もなるべく幸せになる介護が、どこかへ行ってしまうことさえありえます。

それでも、「介護うつ」かどうか、心配な方はいらっしゃると思いますので、絶対ではありませんが、ある程度の目安もあげてみます。

 特に、家族介護者は、本当に「うつ」になる場合も少なくありませんから、心配な方は、病院、もしくはクリニックに行かれるほうがいいと、思っています。

特に、こんな場合は、早めに受診された方がいいと思います。

 希死念慮はありませんか?
 「死にたい」「死んでしまいたい」という気持ちが強い場合は、専門医に診察を受けたほうがいいと考えています。

 眠れますか?
 程度によりますが、本当に眠れない、という状況だと、これから先を考えても、かなり厳しい状態になってしまうと思います。

 怒りが止まらなくなることはありますか?
 自分でもコントロールできないくらいの強い怒りが、ささいなことで噴出し、止まらないことはありませんか?

 以上のような場合は、専門医の診察を受けたほうがいいと考えます。
 辛い場合は、診察を受けて、薬を処方してもらえたら、それによって、少しは楽になる確率は高いと考えられます。薬は、気持ちが本当に底の底まで落ちる前に、支えてくれる、と考えていただくといいのかもしれません。眠れない場合は、おそらくは、眠れるような薬が処方されることもあるとは思いますが、夜眠ってしまいすぎると、介護が不安な場合は、そうしたことも含めて、医師に相談し、たとえばデイサービスに行っている時に、飲めるようにする方法もありえます。

 「介護うつ」がどうしても心配な場合は、もし、スマホなどがありましたら、ご自分の住まわれている都道府県などとともに、「精神科 うつ」「心療内科 うつ」「クリニック うつ」などと検索をして、病院やクリニックを探してもらえないでしょうか。その上で、電話をして問い合わせをしてください。そのやりとりも含めて、相性が大事なので、ご自分に合いそうなところに行かれるといいのでは、と思います。病院にしろ、クリニックにしろ、精神科の専門医。もしくは臨床心理士/公認心理師が勤務しているところの方が、より安心な一つの目安にはなると思います。

 もし、それでも見つからないようでしたら、以下のサイトで検索されるといいのでは、と思います。

日本精神神経学会

日本精神科病院協会

介護者自身の病気・「介護うつ」の向こうに

 介護者ご自身が、病気になったり、もしくは悲しみが止まらないような状況でも、それでも、介護者自身の治療もして、なんとか介護を続け、そのことにも多少慣れてくると思います。

 体調も回復までとは言わないまでも、介護環境に適応することで、気持ちも体も安定を手に入れる、という状態にたどり着く方も少なくありません。

それは、「介護を継続するための環境や意志」を手に入れたことであり、外から見たら、比較的安定した日々になる可能性もあります。ただ、過酷な介護環境への「過剰適応」である可能性もあり、それは介護者の心身にかなりの負担をかけていることには変わりはないので、周囲は常に少しでも負担が減るような支援をしていていただければ、と思います。


 今回は、以上です。

 何か、ご質問、ご意見などございましたら、コメント欄などに書いていただければ、幸いです。
 



(他にも介護に関して、いろいろと書いています。↓よろしければ、クリックして、よんでいただければ、うれしく思います)。

介護の大変さを、少しでもやわらげる方法① 自然とふれる

「介護books」②介護が始まるかもしれない人へ。不安を(少しでも)減らすための4冊

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