かぞくに彩りを
絵本「かぞくです」運営メンバーのあかりです。
わたしにとって家族とは、いつでも帰ってこれる居場所。
たとえば、長旅から帰ってきて浸かる家のお風呂や、洗濯物の懐かしい香りみたいな。何年離れていても、ああ帰ってきたなあという感覚。それを感じさせてくれるのが、家族です。
家族は砦かしがらみか
大学を卒業してから、わたしはとある病院で相談支援業務に従事していました。医療福祉分野における専門相談員という立場は、偶然、時に必然的に、家庭の内情を知ることになります。患者や家族と関わっていく中で、いろんな「家族のかたち」とやらを目の当たりにする。
時には、家庭内暴力や虐待も含め。
「血のつながりはないけれど、実の親子のように慕ってきたんです」と足しげく患者のもとに通う人もいれば、もう関わりたくないのだと一切の連絡を拒否される事もありました。
「家族」といわれる人達も、確固たる形をもつものではありません。ひとりとひとりの人間が向き合ってきたその果てが、必ずしも温かいものだとは限らない。彼らが断ち切りたい願うその縁を何かのきっかけに紡ぐこともできれば、二度と紡げないこともある。望んで離れていく家族もいれば、暴力が介在しながらも離れられない家族もいる。
そのような現実を前に、(血)縁だとか、絆だとか、そういった言葉がいかに脆いものかを知る。
だからこそ、ひとは相手を思いやり、愛でて、気遣って、崩れてしまわないように守るのだと思います。家族という容れ物の中身がちゃんと満たされるように。
さて、冒頭に戻りますが、
言うまでもなく、家族は私にとって特別な存在です。でも、彼らが特別なのは、血の繋がりがあるからではありません。わたしには彼らが必要で、彼らにはわたしが必要だということを確信しているからです。ふらっと家に帰っても、いつだって「おかえり」と言ってくれるとわかっているからです。
家族のかたちはそれぞれ。
定義なんてものは必要ないと思っています。その人が辛い時に1番近くにいるのが自分でありたいと願ったり、この世を去る時にその手を握りたいと思うなら、時に嫌ったり、ぶつかったり、ママが2人でも、パパが2人でも、血が繋がっていなくても、家族なんだろうと思います。
絵本プロジェクトについて
わたしは現在、カナダの大学でジェンダー学を専攻しています。人間の性のアイデンティティや女性学(フェミニズム)に留まらず、広くジェンダーをさまざまな角度から研究する分野です。
著者であるまどぅーさんがカナダにお住まいである事がきっかけで、この絵本プロジェクトを知りました。
ヘテロセクシュアル(異性愛者)、シスジェンダー(身体の性と心の性が一致している人)の特権に守られて生きてきた私は、大人になるまで、自分と異なるセクシュアリティ(性のアイデンティティ)の人は、どこか遠い世界の人でした。
20代を過ぎてから、遅ればせながら幸いにも、わたしには「知る」チャンスがありました。学生時代の留学先が、同性婚ができる国だったんです。
授業の初日に教授がこんな事を言いました。
「アイデンティティについて話そうか。僕は男で、息子で、兄弟がいる。ラテンアメリカ人で、ゲイのカウンセラーだ。」
わたしの知っている世界がひっくり返った瞬間でした。
同性カップルが手を繋いで過ごせる街でした。
プライドマンス(啓発月間)になると、街中がレインボーになりました。
ヒストリーマンスには、その悲しい歴史を繰り返さぬよう、多くの事が語られました。
これが、いまから10年ほど前の話だと言えば、わたしの驚きを容易に想像して頂けるのではないかと思います。
自分が幼い時に、ふたりパパやふたりママの登場するテレビや本を見ていたら。教育の現場で多様なセクシュアリティについて、いろんな家族の在り方について、障害・文化・人種などのちがいについて、学んだり、意見を交わしたりする機会がたくさんあれば。
わたしの知る世界はずいぶん前からもっと鮮やかで、広くて、あたたかいものだったに違いない。
だから
この絵本プロジェクトには、その希望を託したいと思っています。
子どもたちの見る世界が限りなく広いものであるように。
彼らの目には「ちがい」が彩りとして映りますように。
この絵本が、そのひとつのきっかけになってくれますように。
最後に
6月下旬から、絵本「かぞくです」の出版に向けてクラウドファンディングをする予定です。
情報は下記のSNSでも更新していきますので、ぜひあわせてチェックしてみてくださいね。
【絵本「かぞくです」アカウントまとめ】
Twitter@ehon_kazokudesu
Instagram@kazokudesu_ehon
Facebook「絵本「かぞくです」制作プロジェクト」ページ