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青春が終わり、退屈な日常が幸せに変わる。

歳のせいか、最近はこのように考えることが多いです。

そもそも働くだの稼ぐだのというものは、あくまで人生を生きるための条件程度のものでしかない。

そうそう真剣になって全力投球しなくともいい。と僕は考えるようになった。

それこそ30歳を目前にした今頃になってだ。

今までの僕を知る人からすると "仕事が好きな人間" だとか、"頑張り屋さん" といった印象を持つ人が多いのだろう。
実のところ、その頃の僕は口々にそう思われるような言葉を口にしていたのでしょうがないと思う。

けれど、過去の体験や心情を思い出して考えてみると仕事を楽しんでいたのではなく、"仕事の楽しみ方を探していた" というのが本心だったのだ。

そうして、僕は気づいてしまった。
仕事と言われるものが楽しみ方を工夫しても大して楽しくないことを。
仕事を変えたところで、働く楽しさなど大して変わらないということを。

仕事に大きな夢と熱い情熱を持っていた20代。
僕は仕事以外の時間が怖かった。夢に近づくでもなく、成長するわけでもない単純で基礎的な日常の営みが恐ろしくてしょうがなかった。

だから僕はパソコンを開いて、新しい技術を習得したりだとか、本や動画で自分にとってカンフル剤になりそうな情報を収集して取り入れようとしていた。

僕の知っている青春というものは、なんの知識もないのに、ただダイヤモンドを求めて鉱山を掘るような、そんな時間なのだ。

そして、悲しくもダイヤモンドは見つからずに、そうした期待と苦しみに溢れた僕の青春は終わりを迎える。

恐ろしくてしょうがなかった仕事以外の時間も今ではとっても愛おしく想っているし、家でくつろぎながらも、そこに青春に対しての罪悪感は1mmもなく、心の底から「自分は幸せだな」と感じられるようになっている。

徐々に芽生えてくるそうした感覚に、去年頃から薄々気づいていた。

そして、分かってしまった。

もうすぐ "僕の青春" は終わるのだ…と。

仕事なんかよりも、平凡で安穏とした日常が、思い出に残るわけでもない単なる暇な時間が、幸せでしょうがないと気づいてしまったのだ。



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