見出し画像

ランキングは、「人核」を変えるかも。


No. 1



その名の通り、頂点。

あらゆるところで起きている競争の中で、
勝ち抜き、他よりも優れたものが得る地位です。

昔のだれかさんのおかげ(せい?)で、
競争社会になった現代。

そんな現代では、あらゆるところでNo.1が決まっていきます。

学校では「学力No.1」「偏差値No. 1」「学生数No. 1」「合格者数No. 1」

職場では「売上No. 1」「株価No. 1」「会社内No. 1」

趣味でもなんでも「No. 1」が決まっていく。

「けん玉No. 1」
「ルービックキューブNo. 1」
などなど….



どうも。
現在学生の風山かぜやま ふみです。

考えることが好きなので、
「学生哲学家」と自称しています。

私の通う学校も、もちろん
No. 1決定戦の連続です。

なんだかんだ、No. 1が決まっていきます。

「総合点数No. 1」

「合唱コンクールNo. 1」

「県の大会No. 1」

「学力No. 1」

「国語、英語、数学…..の点数No. 1」

多分、競争させてよりいいものを作らせようとしているのでしょう。

どこにでも、なんなら夏休みの宿題にも
No. 1が潜んでいます。

多分、丸いビーズとかよりも
身近にどこにでも潜んでます。


小学校でも、ずっと。

ずっとずっと、No. 1がそばにいました。

「あなたの近くにいつもいるよ?」
というメンヘラさんなのでしょうか?

まだ生きてないけど、
多分、これからも「No. 1」という頂点を目指した
競争は続いていくのでしょう。

そして、ある日
考えるの大好き星人(変人)の文はこう思ったわけです。


「なんでNo. 1目指してんだ?」


なんでみんな揃って「No. 1」に必死になってんだろう….

私はどうも「どうでもいいことも気になっちゃう病」に、
頭からつま先まで侵食されてるみたい。

「いいことじゃん!」って言わない!

色々めんどくさいんだからね。
この性格。

おかげで、学校では5割くらい口に出さないようにしてるもん。

だって、どう考えてもおかしいことがたくさんだから。

それでも「別にいいじゃん」「細かいこと気にすんなって」
って言われまくってるんだけど…

まあ、それは 置 い と い て

なんでだろうな…という
疑問が出てきたわけです。

考えてみると、意外とすぐ見つかりました。

どうやら、

「一年生の時から競争社会」だったから

みたいなんです。

小学校、一年生の時から「No. 1」があったせいで、
どうやら当たり前になっていた。

それがずっと続いてゆき….

今では「当たり前」と固定されちゃったみたい!(´∀`*)エヘ

ほら、授業中とかさ。

「算数No. 1はこいつだ!」みたいな感じで
ドチャクソに計算早いやつおらんかった?

他にも運動会とか、
音楽とか。

ずっと「上手な子」が絶対にいたじゃん。

だから、「No. 1」をずっと作り続けて、
今に至るんじゃないかな?と思うわけです。

だから、「なんでやねん!」って
ツッコむ人がもういなくなっちゃった。

なんでやねん!!!!

Why Japanese People!?

なんで
考えなくなんねん!!!

いや考え続けろや!

考える力失ったら
もう流されるだけだぞ!!!!

学校、こういうの多いよね。

なんとか
「知識を与える場」として割り切れんのかね?

う〜ん。
難しい。

前も話したんだけど、
人格形成とかを学校でやるべきじゃないと思うんよ。

だって、
余計なことまで人格になっちゃうし。

こういうランキング制とかも、
人格形成をしながらやってるとそれが普通になっちゃう。

「学校」という場で、
人格形成と教育を同時にしちゃっているからな〜

それが骨の髄まで
染み込んじゃう。

染み込んでいいのは、
豚の角煮と煮卵だけ!!!

これを鉄則にすべき。


さてさて。

ちょっと話はそれましたが、次のお話。

No. 1になる必要はあるのか?

です。

結論から言うと、「なれるならなった方がいい。」

なれるなら。

もしNo. 1になれれば、それが仕事につながったり、
新たなチャンスが生まれるかもしれない。

それこそ、スポーツだったら
オリンピックに出てメダル取れるかもしれない。

そしたら、スポンサー契約とか、
CM出演とか、テレビ出演とかで大スターになる道も出てくる。


でもさ。

あなたは「No. 1」になれるか?と聞かれれば、
全員がイエスとは答えれないはず。

と言うか、No. 1は一人だけ。

残りの99.9999999パーセントは、
No. 1になれない。

当たり前だけど。

そこに価値がないのか、というと別なんだけど、
ナンバーワンを目指し続けるのはなかなかに難しいと思います。


だから、そもそもNo. 1を目指さない、と言うのもありかもしれない。

だって、No. 1決定戦で一番得するのって、
「ランキングの主催者」なんだよね。

もしそれが、「趣味」であればいいけど、
趣味じゃなくて「他人からの期待」とか「強制参加」だったら、ラットレースになってる。


他人からの期待。

これだったら、「私」に主導権がない。

その人が望む「理想の私」を追求させられているだけ。

アー ユー ロボット?


強制参加。

学校ではこれが多い。

有無を言わさず参加せられる。

さっきも言ったけど、
No. 1になれない人は99%。

これを繰り返して、ずっと「No. 1」を目指させられて、
ずっと走らされて。

その結果が「自己肯定感の低下」だったりする。

「競争」に全力を尽くしすぎて、
存在価値を勘違いするやつ。


ここまで考えてきて、私は思った。

「競争は、参加したわけじゃない。
参加させられてたんだな…」

なりたくもないNo. 1。

自分がなりたいと思えない、なったとしてもどうすんねんっていうNo. 1。

これに参加させられ続けていたようだ。

ランキングなんて、他人が作ったものなのに。

それに、私を賭けるなんてバカらしい。

No. 1になろうとして、出来上がるのは
ランキング主催者の思う人間。

だから、「勉強No. 1」を作れば、
「勉強ができる人」が作られていく。

まるで、工場ラインみたい。

これが、なりたいものならいい。

でも、なりたくないものなら、今すぐ飛び立つべきだ。

ランキングから、飛び降りて、
なりたい自分のランキングに参加しよう。

そうすれば、
ランキングを利用してなりたい自分になれる。

私なら「読書数No. 1ランキングに参加する」とかね。



と言うか、「No. 1」にならない方法もある。

私はこっちで行こうと思う。

それは

only one

だ。

No. 1では、「同じ人間」のTOP。

only oneは、「私」のなかのTOP。

周りと全く違う、
私が私らしい私、が「only one」だ。

学校に入るまでは、と言うか、最初の人間は多分、
「only one」だった。

他のなんでもない。

ユニーク個体。

同じものは一個もない立体が、「人格」だ。

「人格」って、「人(人間)」「格(等級、地位、形)」

でも、私はこっちだと思っている。

「人核」


人の核。

まさに、その名の通りだ。

いわゆる「心」「感情」と言われる部分なのかもしれない。

これが、いろんな経験を経て、
自分で形を変えていく。

未完成の作品を、完成させていくかのように。

ワンピースのカイドウがこんなことを言っていた。


「死は人の完成だ……!!! そうだろ?」



確かに、死ぬまで私たちは
「人核」という作品を、
「人生」という映画を、完成させ続けるのかもしれない。


だから、「人核」は
「自分以外の人間」が変えていいものじゃない。

絶対に、触らせてはいけないもののはずだ。


でも、学校では、会社では、ランキングでは。

無造作に、失礼に。

ガリガリと削られていく。

それがどんどん丸く、
もしくは四角く。

どんどん矯正されていくんだと思う。


さて、それは本当に私なのだろうか?

多分、違う。

だから、

ランキングに参加するときは、
「人核」を絶対に触らせないようにしよう。



ここまで話したのが、私の考えです。

哲学は「私の考え」が全て。

「本をめくることばかりしている学者は、
ついにはものを考える能力をまったく喪失する。
本をめくらないときには考えない。」

フリードリヒ・ニーチェ

これはある、哲学者の言葉です。
この「本」は「note」にも当てはまるのではないでしょうか?

あなたも、少しだけでもいいから、考えてみてください。

この記事をよんで思ったこと、考えたことは、
ぜひコメントしてください。

私が大歓喜して、全肯定します。



それではまた!




読んでくれて、ありがとうございました!!
スキしてくれると「ありがとう」が伝わるので、私が飛び跳ねます!

今、私ができることは
最後まで読んでくれたあなたのための
記事紹介くらいでしょう…..

少ないですが、お納めください….

私の記事
▶︎学校で人格形成しちゃダメ。って思うんだけど....
▶︎世界に嫌われたので、この世のすべてに感謝することにした。

他のnoterさん(神様)の記事紹介↓
▶︎トップ人財が “競争しない” ワケ by池 辰彦さん

この記事が参加している募集

いただいたサポートは、本or海外への旅行費に使わせていただきます!もちろん、どちらともnoteに投稿します。