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(14) アマリリス

♪ 曼殊沙華 ♪
そうか、アマリリスは曼殊沙華と同じヒガンバナ科の花のはずだ。そう言えばスッと立ち上がる花の茎、その佇まいがよく似ているのはそれだったのだ。幼い頃から、天空に向かってスッと立ち上がる花を不思議な思いで見とれていたことを覚えている。何故か曼殊沙華だけは摘むことがためらわれた。花言葉は「独立、悲しき思い出」・・・曼殊沙華そのものの佇まいに圧倒され、摘むのをためらっていたのだろう。合点がいく。

私の研究所のベランダに、十年程前に頂いたアマリリスが子を産み一つから七つの球根に成長している。自然に任せる主義だから、球根を株分けして植えることをしていない。結果、球根の家族がくっつき合ったまま育っている。球根がくっつき合っているから、今さら分けることは出来ない。幸い大きな植木鉢で良かったとホッとしている。今年も天空に向かって真っすぐに凛と立ち、大輪の花を咲かせている。花言葉は「誇り」。華麗で見事である。

クライアントの方々は、どこかしら淋しさと孤独な様子が滲み出て辛そうである。ご家族と同居されながらも一緒に食事を摂られることがない。
「何故ですか?」・・・その答えが容易に想像出来るから、私は聞くことはない。壁があり、内面に触れることのない距離を保って生活が流れている。お互いに暗黙の了解をしあっているのであろう。LINEなどSNSは誰とも結ばれてはいない。発信することも、受信することも望んでいない。ほとんど外出はしないから、誰とも話す機会はないのだ。胸が痛む。毎週か隔週に一回、カウンセラーの私と顔を合わせ、言葉の交流があるのみである。

私はあえて、アマリリスの花が咲く頃ベランダから花を摘み、面接室のテーブルの花瓶に生けることにしている。その華麗で見事な大輪のアマリリスに気づいて頂けたら、花言葉の「誇り」のことや、くっつき合っている球根の話でもお話ししようと願いながら・・・。しかし、ほとんど気づかれるクライアントはいらっしゃらない。これだけ大輪(花径が二十センチはあると思われる)の花であるのに、である。私は残念がってはならないと思う。クライアントの方々は余裕がなく、悲しみに圧倒され緊張なさっているのである。

この頃色々とやることがあり、昼休みに自宅に帰ることにしている。
先日、五歳になる孫娘が、
「ようちえん、やすんでやったわ!」
と、偉そうにやって来た。得意のおさぼりである。来て早々、以前買ってあげたキッチンセットの前に立ち、
「きょうは、おりょうりきょうしつやるからね。じいちゃん、ばあちゃんせいとね!まずなべにやさいをいれて!いいですか、みずはいれませんよ」
またやらされる羽目になる。なかなかに厳しい先生だから緊張する。叱られっぱなしで無事料理教室を終えると、メモ用紙はないかと言い出す。次から次へと休む暇がない。こちらは命懸けである。メモ用紙を渡すと、何か書き始めた。
「これが、わたしのかぞく」
と、言いながら書き上げた用紙を、そのキッチンセットの扉の窓に、満足そうにセロテープで貼り付けた。よく見ると上段にパパの名前、次にママの名前、弟の名前、一番下に自分の名前がひらがなで書かれてあった。私はからかうつもりで、
「じいちゃんとばあちゃんは?」
と、言うと
「なんで?いっしょにすんでないでしょ!」
不満そうにそう言うと、貼った家族の名前を記したメモ用紙を、何か強い思い入れがあるのだろう、小さな指でくり返し撫ぜながら、
「かぞくはあつまっているの!!」
じじとばばは名前さえ覚えてくれていない。単にじじとばばでしかないのである。知らないうちに随分と成長を感じる。家族を意識し始め、一緒に集まっていることが嬉しいのだろう。”家族”は寄り添い集まっているというのが何よりなのだ。

研究所のベランダのアマリリスの球根たちは、初めたった一つの球根を植えただけなのに、この十年で七つにまで増えた。ほとんど土から球根は出ていて、玉ねぎほど大きいものから、生まれたばかりの小さな球根までが寄り添って七つが”家族”のようだ。水やりをしながら毎日この球根を見て、私は”家族”とはこんな風だといいのに、と考えて来た。孫娘のあの発言で、あの子がチビッ子ながらに”家族”をそんなイメージで捉えていることを知り、安心と同時にあの子の祖父であることを嬉しく思った。

昔の家は小さかった。その六畳間は居間であり、食堂であり、子供たちの寝室であることが多かった。今は子供の数だけ部屋があり、LDK、両親の寝室・・・豊かになり本当に有り難いことである。しかし、各部屋の壁が物理的にボーダーラインとなり、心の置き処にまでこのラインが侵入して来てはいないだろうか?家族を分断し、関係性を希薄にし、心の繋がりまでも切断しかねなくなっている。それは物理的な家の大きさだけが要因ではなく、例えばスマートフォンやパソコンが”家族”のシステムを大きく変えた。子供たちはわからないことを両親に聞くことはなくなった。会話は消えた。

アマリリスの家族は、ぐつぐつに狭い鉢の中で寄り添い固まりながら、天空に向けて真っすぐに凛と立ち、大輪の花を咲かせている。自信に満ちて「誇り」を持ち、華麗で見事でいる。一つひとつの球根は寄り添って、”家族”に守られているのだ。

Photo by 加瀬野 洋二 / Design by NUE(OPUESTO)


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