(73) 一期一会
通りすがりの挨拶ぐらいじゃ済まない。
「しばらく顔見なかったなぁ~。そう言えばこの辺りに巣箱掛けてくれたの、あんただろ?よくやってくれたなぁ、ありがとう」
散歩の途中に見つかってしまった。
「カブの漬物、古漬けになったから塩抜きして炊いたんだよ。熊笹茶で食ってみるか?」
「はぁ~、はい・・・」
挨拶だけじゃ済まないのが、田舎の良いところなのかも知れない。しかし、予期していない時にこれは困る。人の都合などまるで関係ない。一応、「熊笹茶でも飲んでいくか?」と尋ねられてたことはその通りだが、断る訳にはいかないから結局上がり込みご馳走になることになる。
正直、相手のおやじさんのフルネームも知らない。ただ、著名な蝶の研究者であるらしい。古漬けの煮物は、プロの料理人以上の美味しさであり、熊笹茶はそこら辺りの笹の葉を干したものに過ぎないのだが、深みがあってかなりのものだ。
始まった。予想通り蝶の話だ。そう言えば、おやじさんの家の庭に大きな小屋があり、そこは蝶のさなぎまで育てる小屋らしい。その話は決して自慢話などではなく、蝶がいかに凄い昆虫なのか考えさせられる話であった。”一期一会”と自らに言い聞かせ、一時の我慢だと構えた自分が恥ずかしかった。「(71)蝶のように」で書いたものは、このおやじさんから教わったものだ。この機会が無ければ、私は一生知らないままだった。”一期一会”とはこんな時の言葉だ。たかだか一週間から一年の寿命でしかない蝶だが、その進化の過程を知るなら、人間よりもはるかに上等なのだ。
私は「ここの今に懸命に生きる」を信条として、日々その時を大切にしようと心掛けている。と言うのも、高校生の時”種田山頭火”の生き様に触れたことがきっかけであった。
風狂無頼の俳人”種田山頭火”は、孤独・漂泊の詩人として、また人並み以上に酒を愛した奇行癖を持つ行乞僧(ぎょうこうそう)として知られている。自身の母の位牌と共に旅した。母にも弟にも自殺され、破産・一家離散という幼年期から中年期に至る体験は深く深く彼の心に傷をつけたに違いない。自らの「自殺念慮」との闘いであり、「生きられないかも知れない不安」の中で、「今日、ここの今に生きるため、二度とないここの今を全力で生きる」という、まさに”一期一会”に生きようとした人であった。その為の表現は、定型の俳句では事足りず、”自由律俳句”でなければならなかったに違いない。
そんな生き方・死に方をした山頭火には、数々のエピソードが語り継がれている。広島の大山さん宅に寄った折、帰る時に門の外で大山さんが見送っても、決して山頭火は振り返ることをしなかった。大山さんは、さっさと足早に去っていく姿を何度見送った事か、寂しさと共にそのことを気に掛けた。ある日、一大決心をし、その「何故」を山頭火に訊ねた。
「わしゃ明日のない身だ。どこで野垂れ死にするかわからん。いつも親切にしてくれるあなた達に明日は会えんかも知れん。別れる時わしゃいつもそう思っている。だから無性に悲しくなって、振り返って”さよなら”を言ってる余裕なんてないんだ」
この言葉を聞いた大山さんは、聞かなければ良かったと、恥ずかしさと共に後悔されたという。
山頭火のこの言葉に、”一期一会”に徹して生きる「捨身懸命」の生き方を、私は痛みと共に、やり切れない思いで受け取った。山頭火の漂泊の旅は、いつも”一期一会”明日を信じることの出来ない、生と死を見つめる旅であったのだろう。
時間やスケジュールに追われ、息をつく暇がないくらいの思いで一日の大半が過ぎていく。「結果」や「成果」だけが重視され、過程はさほど問題とされない、そんな毎日の中で、本当に「どう生きるのか」など考える余裕はない。私たちの現実である。
ふと、足を止めてみたい。どんなに余裕がないとしても。他では代用が効かない”唯一無二の私”なのだ。そんな大事な”私”が生きるのだ。”ここの今を懸命に”生きるのだ。それが”唯一無二の私”を大切にすることなのだから。これら全ては、”一期一会”を心に刻み生きることに補完されなければ、活かすことが出来ないのだ。