(8) 今を生きる
人は誰も過去を背負って生きている。そればかりか、未来をも背負っているのである。
まだ始まってもいないはずの未来を背負うとはどういうことかと不思議であるが、未来への不安・恐怖・嫌悪などの感情を背負ってしまうのである。過去は変えられないし、宿命だと思い込み背負う。それらは決して軽い荷ではないことが多い。何故なら、それらは苦しみ・悲しみ・自己嫌悪・憎悪・絶望などインパクトが強いこともあり、荷としてかなり重いものばかりである。「感情記憶」と呼ばれ、本当に何ともし難いものである。それだけで背のリュックははち切れてしまいそうである。にも拘わらずその上、過去の荷の重い人たちに多く見られるが、未来の荷も背負ってしまうのも大きな問題である。
未来に希望がない・不安で一杯である・自信がない・拓ける気がしない・今後も自分を好きになれるとは思えない・こんな辛い毎日がこれからも続くのなら絶望しかない。始まってもいない未来までも荷として背負ってしまうのである。さしずめ過去が背のリュックなら、未来の荷は胸に掛けるリュックとなる。
時々、前後にリュックを背負ったバックパッカーを街で見かけることがあるが、これほどの荷を背中だけでは足りないし、歩きづらいから前に半分に分けているのであろう。バランスも良く合理的であり、つい感心する。しかし、前述の過去・未来を共に背負ったリュックとはまるで意味合いが違うのである。
私は高校生ぐらいまで極度の強迫神経症であったに違いない。というのは、当時は精神科など滅多になかったから受診はしていないので自己分析でしかないからだ。そればかりか完璧主義でもあり、情にもろ過ぎたのか寂しそうなノラ猫を見ると悲しさのあまり二・三日眠れなかったりもした。
強い不安感と不快感があり、それを打ち消す強迫行為をくり返したりもする神経症である。その上、完璧主義でもあるから、出来もしないのに目標は高く、それを完全にやり切らないといけない強迫観念があった。
一番困ったのはテストであった。勉強せねばならないと強く思い、何日も前から準備してくり返しくり返し勉強した記憶である。当然、その結果は良好であるのだが、疲れてしまっていて喜んだりするエネルギーが残っていないほどだった。だから絶えず喜ぶことも出来ない勉強(特に暗記を必要とする科目)に深い疑問を持ち続けていた。(努力の後、結果を喜べなければ次の動機は生まれない)他にも勉強以外にせねばならないことが多くあり、能率よく合理的でもあったから、詰めて詰めてすぐにやり切ってしまう。当然一つのことをやり切ったのなら、しばらく休んでゆっくりするのが普通であるところ、次やることを探してまで、またすぐに始めてしまう。そのことはずっと後でやれば良いことであっても・・・。
そんな始末であった。これのくり返しだから、結局休む暇は全然なく常にフル回転であった。頭もヒートしたままだった。
こんな人のことを「タイプA」と呼ぶらしい。せいぜい消化器か循環器を患うのが相場である。かと言って、勉強ばかりか遊びの方も得意で、水泳と野球は上得意でとても上手かった。友人は多くガキ大将で、自宅近くの工場の屋根に登り、暴れてスレートぶきの屋根に大きな穴を開けてしまったりもして、親が頭を下げに行ってくれたおかげで助かったわけであるが、何しろ元気でわんぱくで、いつも周りに友人がいた。他人には知られず、そんな病であろう自分を出さず、一人で違和感を持ちながら苦しい散々な思春期を
過ごした。
そんな自分だからもあってか、医者になるぞと決心して高校は理系の進学校に進学した。そこで憧れの先生と出会うこととなる。一方、違和感を感じ続けてきた「勉強する」とは結局暗記なのだと思い、病から脱却しようと一切の馬鹿げた勉強を捨てた。強迫神経症・完璧主義・タイプAを卒業して我が独自の道を造るべく新しい挑戦をし始めた。すべての過去の亡霊の呪縛から逃れようと必死になった。その憧れの先生との出会いがターニングポイントとなったのだろう。先生と同じ大学に進み、先生を真似して教師となった。結婚の折は先生にご無理を言い仲人役までお願いした。今も頭の中で先生ならどうするか?と先生に投影してみて事に向かっている。
決めた、二十歳の誕生日。
私のクライアントは、それぞれ事情は違うし症状も様々だが、苦しい・やり切れない・絶望などは正に共通していて、生きづらさを抱えていらっしゃる。言ってみれば、過去のトラウマに縛られ、未来の不安におののき、ここの今に生きられないで足場を失っているのに等しい。
「(4)啐と啄」に述べたように、私は師や高僧などではないのだが、「啐(そつ)」なる機会がクライアントに充実と共に存在するその日まで、私自身がクライアントの展望を描ききらないと伴走すら出来ないのである。今、病者であった私への教訓七つを支えに私は「今を生き」、ゆとりと余裕のまなざしを持てる存在であり続けたい。
私はまず、精一杯”今日、ここの今を生きる”
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