就労支援日記⑫~自分にとっての「働くことの意味」~
先日の就職対策講座のテーマは「働くことの意味」。
まず最初に、親族や知人、学校の先生から、どうして人は働かなければならないかについて、これまでどんなふうに教えられてきたを話し合ってみる。
“人に迷惑をかけないように生きていくため”
“自立して生きていくため”
“仕事をしない人は、ダメな人”
“生活をするには、お金を稼がないと生きていけないから”…。
それこそ、これまでの間「耳にタコができる」くらい周囲の人から言い続けられたであろう一言一言を、みなさん一様に、うん、うん、と頷きながら聴いている。
でも、これはあくまでも、自分ではない「誰か」にとっての「働くことの意味」。
さて、ここからが本題。
今日はそれらをいったん頭から外して、とことん自分にとっての「働くことの意味」を探ってみる。
最初の設問。
“1時間後に自分は必ずこの世に存在している(死んでいない)と言い切れる理由(根拠)はありますか?”
ええっ、という反応。そう言われたら、ないとしか言えないよね…、などなど。
次なる設問。
“もし1時間後にこの世にいないかもしれないと思っても、今日の夕食の準備はしますか?”
どっと、笑いが起こる。それは、そうでしょう…。
たたみかけるように次々と提示される設問群。
“一生懸命に働いて家族を養ってきた一人の人が亡くなりました。家族をかえりみず遊びほうけてきた一人の人が亡くなりました。二人の死に、なにか異なるところはありますか?”
“人は死んで火葬されれば灰と少量の骨しか残りません。生きることに、なんの意味があるのでしょうか?”
この辺から、それまではどちらかという二つか三つくらいに色分けできていた返答が、個々の色合いを帯びてくる。
「確かにいつかは死ぬんだから、何をしたかは関係ないといえば関係ないのかな…」。
「死という点では変わりないけど、やっぱり生きているときの姿は記憶に残るんじゃないか」。
「本当に最後は灰と骨しか残らない。小さいときに親族が亡くなって、それを知ったときの衝撃はすごかった。いままで誰にも言えなかったけど」。
最後の設問。
“人はいつか必ず死にます。たった一度の人生です。どうせ死ぬなら、なるべく楽しんで生きればいいのに、なぜ私たちは働いているのだと思いますか?”
もう自分ではない、「誰か」のつくった「働くことの意味」を語る人は、少なくともこの場にはいない。
自分にとっての「働くことの意味」を、静かに凝望すること。
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