人生とは喪失をどう受け入れていくかである
宇多田ヒカルさんが話していた制作をする上でのテーマは「喪失をどう受け入れていくか」であると。
この会話はシン・エヴァンゲリオンの制作にまつわる会話であると記憶している。
監督の庵野秀明氏と会話していた。
私が化学を専攻にし、学部から修士課程へ進み周りが就職し、東京や大阪へ仲間が散り散りになり、私の研究室での生活は何も変わらないのに周りが変化していくことに当時、孤独を少し感じる時があった。
そもそも、大学生活を始めるということも生まれた故郷を離れ新たな土地を知るということで小さな孤独の始まりであったかもしれない。
そう考えると”大人になるとはこの孤独を受け入れていくことであるのかな”と感じたことを思い出したものだ。
そんな想いを当時、研究室のボスである教授にボソッと呟いたことがある。
そしたら答えは「それは君が暇だからだよ。私は忙しくて孤独を感じる暇がない」となんとも理系の教授らしい回答が返ってきたものだ(笑)
こんな少し情緒的な私はこの化学の研究の道を進むことを止めるのだが、それは必然であったのかもしれない。
こんな感情に浸るために私は音楽を欲した。
大学のあった東広島という土地から当時、車を走らせて広島市のクラブに行っては音楽に身を委ねた。
そんな記憶がある。
話を元に戻す。
冒頭の話であるが、シン・エヴァンゲリオンも喪失をどう受け入れていくがテーマであるということで庵野監督と宇多田ヒカルさんの制作におけるテーマの一致が起こった。
それが私にとってのこの大学の時の記憶と時間を経て真っ直ぐに繋がったのだ。
先週のこと、私の伯父が亡くなり葬儀に行った。
その二日後伯母が亡くなった。
数日に二人の親戚を亡くしたわけだが小さな喪失感を感じた。
さらに伯母のいる埼玉は緊急事態宣言で葬儀の参列すら出来ないと。
感染症は人がお別れをする時間すら阻んでしまうのだ。と喪失感の行き場を失ってしまった。
人はお別れをしないといけないのだとこの時、はじめて正しいさよならの仕方を考えた。
この件に関しては短い時間会うことが出来るということに葬儀社の対応が変わり、その時間のために私は飛行機に飛び乗った。
こうやってお別れができる。
そしてそうやって親類を失う喪失感を受け入れることが出来た。
この真夏の炎天下、東京を経由し埼玉へ。
お別れの場所で雨が降っていた。
真夏の雨だ。
雨の香りがアスファルトに当たり香ってくる。
この香りが何かを思い出させる。
昔の私が何かの記憶と蘇ってくる。
伯母が私を呼びかける幼き頃の伯母の笑い声だ。
ずっと笑っていた伯母。
笑いやむことのなかった伯母。
もう笑い上戸だ。
そんな伯母の笑い声が蘇ったのだ。
そしてその雨を見ながらずっと頭の中でリフレインするのが宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」だ。
この曲はこんな私の気持ちを、いや、誰かの喪失感をしっかりと代弁してくれる。
こんな風に音楽は確実に誰かが人生を歩むにあたりその喪失感を受け入れるのを助ける。
そして映画も本もそうである。
だから私は心の琴線に触れる体験はなるべく豊かな方が良いとそう言いたいのである。
その体験はきっと喪失感を受け入れるのを助け、少しずつ癒してくれるから。
以前に私が書いたこちらの記事も併せてご覧ください ↓
今回の記事のテーマとなった曲『First Love』を歌っている
宇多田ヒカルさんの曲はこちらからも視聴可能です ↓
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