【愛着障害・うつ・AC】変わるより、許す
アダルトチルドレンの人たちは、今の自分を否定して変わろうとします。
ありのままの自分では駄目なんだ、ありのままの自分では愛されない、だから変わらなければいけないんだ、と自分を責めています。
私も「変わらなければいけない」と強迫的に思っていました。
そもそもアダルトチルドレンの人は、本来の自分から逸れた生き方をしています。
自分に嘘をついて、自分じゃない自分として生きようとしています。
だから、そうじゃなくても苦しいのに、さらに変わらなければいけない、もっと頑張らなければいけない、と自分に鞭を打っているのですから、厳しいですよね。
まるで自分いじめ、です。
私はニ十年、治療に取り組んできて、変わったか?というと、変わったところもありましたが、依然として変わらないところも沢山ありました。
この事実に愕然としました。
しかし、出来る事はやったから気が済んだのでしょう、変わることを諦めて、傷を抱えたままで生きて行くことにしたのです。
木に例えると成長できずに捻じ曲げられて歪んだ木ですが、それが私なんだ、と認めたのでした。
そうしたら、ストンと楽になりました。
そして、この四年ぐらいの間に、ばたばたと私は大きく変わっていきました
あれほど変わりたくても変わらなかったのに、です。
変なところに入っていた力が抜けたような気がしました。
変なところって、どんなところでしょう?
変わったところと言えば、まず、等身大の他人と等身大の自分が見えるようになりました。
他人が大きく偉く見えて、自分がちっぽけで、みすぼらしく見える、という現象が無くなりました。
完璧主義、白黒思考も前ほどでは無くなってきたましたし。
心理系の人、自己啓発系の人、スピ系の人、皆んな変わろうとするけど、私も変わろうとしていたけど、ニ十年やって分かったことは、今の自分を否定しながら変わろうとしても、変わらない、という事でした。
皮肉なことに変わることを諦めたら、ぱたぱたと動かなかったものが動いたのでした。
変わるろうとする原動力とは何でしょう?
この場合、健全な向上心ではなくて、自己憎悪とか自己蔑視でしょう。
自分を嫌わないで、という事をよく言われます。
「駄目な自分を受け入れよう」「どんな自分にもOKを出そう」
そう言われても、すごく難しく不可能のように感じていました。
確かに自分が嫌い、ということは一番の問題ですよね。
自分が嫌い、受け入れ難い、許せない。
私も自分が嫌いで、自分を傷つけるような事をいっぱいして来たと言えます。
例えば無意識にでしょうが、自分に楽を与えないとか、自己破壊的なことをしてきました。
自分を許す、という事がいちばん難しいのかもしれません。
自分に優しくしよう、自分に思いやりを持とう、と言われますが、簡単なようで、簡単ではありません。
ところで、「変なところに入っていた力」とは、何でしょう?
「自己憎悪」とか「自己蔑視」でしょうか。
自己蔑視とか、自己蔑視する心が、今の自分じゃ駄目だ、変われ、変われ、と責め立てていたのでしょうか。
と言うことは、私は変わることを諦めた時、自己憎悪とか自己蔑視する心もいっしょに手放したのでしょうか。
アダルトチルドレンの人は自分が嫌いだから変わろうとしていたんですね。
しかし結局、自分を否定しながら変わろうとしても、変わることはないのです。
自分を許すことの何と難しいこと!!
私も果てることの無いアダルトチルドレンの苦しみを生きてきた一人ですが、自分を許すことの道程の何と遠かったことかと、今とりとめも無く振り返っています。