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【愛着障害・うつ・AC】親も大したことはなかった事を知る

やっとゴールが見えてきたのでしょうか。

あんなに執着してきた親のことが、最近はどうでもよくなってきました。

私は精神疾患のある両親をもち、自らも病の治療に二十年以上の歳月を費やしました。

人が怖くて信じられず、仕事や人間関係、結婚など人生につぎつぎと困難が降りかかりました。

酷いことをされた親なのに、いつまでも執着して愛されたい、わかって欲しいと願ってきました。

病に苦しんでいるときは、真実の親の姿は見えませんでした。

真実の親が見えるようになると、病は癒えて、長かった夜は明けて行きます。

親の真実のすがた、それは苦しむただの人でした。

子供にとって親は特別かつ愛する対象なので、とくに病んでいるときほど親を美化して、真実の姿にフィルターをかけてしまします。

フィルターが外れると、真実の姿が現れます。


苦しむただの人である親にとって、子供とはまったく都合がいい存在です。

怒りや不安、ストレスをぶつけても反抗せず、サンドバッグ代わりになってくれて、苦しみを黙って吸収してくれるし、愚痴を聞いてくれて慰めてもくれる。

子供はそれでも健気に親を愛そうとする。

親にとって、こんな有り難い存在はありません。 

子供は親を守ろうとして自分を犠牲にします。自分が駄目だからと自分を責めます。

親を責めずに自分を責めます。

子供の頃は、親は生殺与奪の権を握っている大きな存在で逆らうことはできません。

親は強大な存在で、自分は卑小で無力な存在だと感じていました。

そのイメージは大人になってからも続きます。他人との間でも親との関係は再現されて、苦しみは繰り返されました。

ところが。

等身大の親のすがたが見えてくると、親も大したことがなかったことに気づきました。

助けを求める一人の人間だったことに気づくのです。

等身大の親が見えてくると、しだいに等身大の自分も見えてきます。

自分は親から要らぬ苦しみを入れられてきただけで、もともと何も悪くなかった、ということが見えてきます。

子供を利用せざるを得なかった親の惨めな姿も見えてきます。

じつは親も大したことがなかったのです。

一人の弱い人間だったのです。

等身大の親と等身大の自分の両方が見えてきます。

すると、あんなに恐れていた親なのに、今の私に何の影響力も持たなくなっていることに気づくのです。

長年の重荷から解き放たれて、身軽になっていました。

やったー!

快哉を叫びたいほどです。


つづきます



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