【うつ・AC】兄弟間差別された悲しみ
それは見なれた故郷の風景です。
南に向いたリビングの窓いっぱいに水田が広がり、はるか向こうをJR瀬戸大橋線が横ぎって行くのが見えます。
線路の左手には始発の岡山駅があり、右手のずっと先は終着駅の香川県の高松駅まで続いています。
のんびりとした岡山平野を見渡せるこの家が、私の三つちがいの姉が住んでいる家です。
家のまわりは稲作地帯です。毎年6月の田植えの季節になると田んぼに水が張られていっぺんに涼しくなるのよ、と姉は言います。周囲にはアスファルトが無いから照り返しもなく、真夏になるまではクーラーがなくても凌げるほどだから、田舎の一軒家は都会から見ると夏はうんと過ごしやすいようです。
姉は旦那さんの実家とスープの冷めない距離の土地に家を建て、子供二人を育てました。旦那さんの実家は兼業農家だから米と野菜は買わなくてもふんだんにあるし、両方の実家から援助を受けられるしで、何不自由なくゆうゆうと暮らしています。このままこの家でくらし、穏やかに人生を終えていくのでしょう。
私はといえば、群れでの生活が苦手な一匹狼タイプになってしまっていて、もともとその傾向はありましたが、離婚してからより顕著になってきています。若いときは恋愛、結婚、仕事と世俗での生活に忙しくしていましたが、最近は禅や瞑想の精神世界に遊ぶのが楽しくなっています。
はじめは仲が良かった姉と私だったのに、気がつけば遠く離れた別世界の人になってしまったのを感じます。無邪気な子供時代は遥かに遠い昔の思い出になってしまいました。
一緒に服を買いに行ったり少女漫画を読みあったりしたのに、それぞれ別の道を歩み始めてからは姉と私の人生は交わることが無くなっていきました。それぞれ自分のことで忙しくしていて、寂しさを感じる暇もなく過ぎていきました。
そんなとき、気まずいことがありました。ふだんは表面化しなかった家族の地雷にふれ、怨念が爆発しそうになったのです。
数年前のことですが、姉は近所に住む年老いた母の世話をすることを面倒くさそうに愚痴ることがありました。姉は現実的でものをはっきり言う人です。ウエットな性格の私からみると、ずいぶんと割り切った、イヤなことははっきりイヤと言う、感情や本音を隠さない人です。ここは喧嘩になるからサヤに収めておこう、丸く収めようなど自分を押し殺すのが慣れっこの私とは正反対の気性です。
一見私のほうが自由に見えますが、実際はちがっていて、私のほうが心の制限は多いのです。心はそれほど自由ではないのです。
不平を言う姉にたいして、私は口には出さないけど、お母さんはあなたの方を可愛がったのだから、お姉さんが面倒見るのは当然じゃないの、と内心つぶやいていました。
姉は母に愛され、私はそうではなかったからです。姉は満たされていて、私はそうではなかったからです。こみ上げてくる激しい感情を飲み込むのに必死でした。
同じ両親から生まれた兄弟でも、親は同等に扱わない事はよくあります。同じ兄弟でも待遇が違っていれば、お互いに仲良くすることは難しくなってきます。年が行くほど、その傾向は強く出てくるように思います。
機能不全家族で育った兄弟姉妹は、みんな仲が悪くなるのはよくある事です。
私は遠い沖縄県の石垣島に住んでいることを理由に、確執のあった母を見なくて済むことに安堵していました。母の介護をめぐって、過去の傷が再燃したのでした。
しかし、家族があらそう、こんなことは私の本意ではないのです。家族の仲を悪くしてしまった張本人は母です。もとは好きだった姉との仲を引き裂かれてしまったことを悲しく思います。
昔のように仲良くしたいなあ。さいきんは瀬戸大橋線の見える家に住む姉のことを思い出すことが多くなりました。
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