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【うつ・愛着障害】こころのふれあい、って何だ?
愛着障害の人は、心のふれあい、が出来ないし、知らないですよね?
心のふれあい、とは、人との間に情緒的な交流をもつ、ということです。
愛着障害の人は、養育者から情緒的に関わって貰ったことが無いから、たとえば人情の機微なんて分かりません。
人と人はノンバーバル(非言語的)なコミュニケーションをしていて、多くを語り合わなくても分かり合っているのがフツウの健康な人、らしいです。
らしい、と言うのは、最近やっとその事が分かりかけてきて、これまで周りの人から私について言われてきた事の点と点が繋がってきたからです。
周りの人達は、案外私のことをよく見ていて、私がむっつり黙っていても私が何を考えているかキャッチしていたんだな、という事が分かりかけてきました。
周りの人の心情までキャッチするセンサーが有るのが健康な人ということ、気づけて良かったです。
そういえば、私はこれまで周りの人たちから完璧主義であることを指摘されてきました。
何時もできない自分を責めていて、人と気楽に付き合えない私のことを、周りの人はよく見ていたのです。
「そんなに出来る人、ここに居ないよ」と職場の人から。
実習のファシリテーションが失敗したらお終いだと不安になっていたとき、「私だってそんなに出来ないよ」と先生から。
出会って間もない人から「完璧主義はしんどいよな」と言われたこともありました。
その人は私より先輩で、「悩み事があるなら、聞くぐらいは聞くぞ」とも言われましたが、いやー、私のことをよく見ていたんですね。
しかも優しい。
周りの人は私の考えている事をキャッチしていましたが、愛着障害で人情のセンサーを持たない、あるいはセンサーが閉じている私は、周りの人のことは分かりませんでした。
だから、周りの人に理解されようとして、自分の事をウワッと話し出したとき、「共通の話題を話せば? 毎日見ていて会話しているから、誰がどんな人かは分かるさ」と職場の上司。
自分のことをウワッと言わなくても、周りは案外私のことを分かっていたのだと、今は分かるようになりました。
理解されていないと不安になったのは、私の両親への思いがあったからなんでしょう。
最近、人と人とのネットワークって言うものが、朧気ながら分かってきました。
ノンバーバルな情報と情報をキャッチし合いながら柔らかく繋がり合っていることが。
愛着障害の人は、心を閉ざしてしまっているから、それが分からないし、知らないのです。
人と心が触れ合っていないから辛いのです。
心がふれあう関係、それはまだ未知の安心安全な感覚と繋がっていればこそ、叶うものなんでしょう。