【愛着障害・うつ・AC】母親幻想から覚めるとき
回復とは何か?という自問自答にたいする一つの答えとして取り上げたいのが、「問題だと思っていた事が問題では無くなる」ということです。
「問題だと思っていた事が問題では無くなる」とき、過去は何の影響も持たなくなるでしょう。
回復とは、過去からの解放。
私は生きるためなのか、過去を美しく改ざんしてきたところがありました。
記憶の99%は自分に都合よく書き換えているという説があるそうですが、本当でしょうか?
私の記憶の中では、母が力を持ち過ぎていました。
貰えなかった愛情を貰うまで精神年齢は幼児のまま時間は止まり、母は世界一美しい人として崇めて三歳児の世界観を生きてきました。
虐待されていた事が分かってからも、母は善い人だと思おうとしてきたし、いつか改心してくれると有り得ない期待を何時までも捨てられませんでした。
母への執着は、臍の緒のように母につながる命綱のようなものだったのかも知れません。
「捨てられても捨てられてもあなたについて行く」という昭和歌謡が有りましたが
拒絶されて、ぼろぼろになりながら、母親にすがりつく様な、どうしても諦めきれない切ない思いが有ったのでした。
残酷な現実を引き受けられなくて、甘美な幻想を創り出したのでしょうか。
現実の母は醜い一面があるのを知っていました。
女王様気質と虚言癖、奸計をめぐらす冷酷さ。
母にとって、三人の子供からの愛と崇拝はぜんぶ自分に来るべきでした。
子供からの愛をめぐってライバル視していた父の威厳を蹴落とすために、父の弱点を利用して家族から引き離して孤立させたのは母でした。
母は自分だけが幸せになるべきで、人の幸せは見るのも苦痛、小さい娘の将来の可能性にまで嫉妬して成長の邪魔をする、という恐ろしい人でした。
愛する母は危険人物。
そんな危険人物が私の母だったのですが、愛を貰えなかった私はこころは幼児同然で、何時までも母の側から離れられずにいました。
求めても何も無いと分かっていても求めずにはいられませんでしたし、母の周りには淡い乳白色のミストがかかっている様に見えました。
辛い現実を生き延びるために、甘美な幻想を必要としたのかも知れません。
傷つける人に何時までも執着する、この愛する母との関係は原体験になって、その後の人生で何回も繰り返すことになりました。
傷を癒やすと過去は力を持たなくなり、現在になんの影響も及ぼさなくなるでしょう。
母は悪党な一面もありましたが、さあ、これから母をどう理解し、私の母親像はどう変化していくのか、見守って行くことにします。
最近は、海水浴に連れて行ってくれた母、栗拾いに連れて行ってくれた母、など日常の風景が浮かびます。
これって、天使と悪魔、白と黒、だけじゃなくてグレーも見えてきた、ということでしょうか。
母は全体に目配り気配りすることはなくて、こだわる所にはこだわるけど、それ以外はズサンなところが有りました。片付けが苦手だったし、発達障害?
私の母親像は、どんどんアップデートしていくのでしょう。
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