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息子のディスレキシアを再認識したできごと

私の長男はディスレキシア(識字障がい)があります。重度の学習障害と認定され、苦労もしてきましたが、最近ではディスレキシアに困ることもなくもうすぐ高校卒業。第一志望の大学にも合格しました。

詳しくはこちらの記事に。



もう、学校でもちゃんとやっていたので、先生も私も問題視することもなかったのですが、今朝「やっぱりディスレキシアだわー」と思うことがありました。

それは、手書きの書類の記入。

長男はアメリカ国籍もあるのですが、パスポート更新のための書類を準備していました。もう18歳なので、大使館に親がついていく必要もないし、手続きは自分でします。

アメリカって、どの国より電子化が進んでいるかと思いきや、アナログなところがやたら多い国でもあります。パスポート申請も、申請書に手書きで記入しないといけない。(デジタル後進国日本でさえパソコン入力可)

長男は、自動車免許とか銀行口座開設とかその他もろもろの面倒な手続きやペーパーワークを、オンラインで問題なく自分でやったのですが、今回の手書きの記入には苦戦しました。

理解力はあるので、質問事項もわかるし書く内容もわかってる。でも、枠の中におさめようとしてはみだすとか、書く欄を一行間違えて違う場所に書いちゃうとか。その度に書類を印刷し直して書き直す・・・ということを何回も繰り返しました。

彼がディスレキシアだと知らなければ、「不注意な人」「処理能力不足」と言われるのでしょう。

ディスレキシアは本を読んでいても、目に入ってくる文字の順番がバラバラだったり、読んでいる行がわからなくなって、隣の行に目が行ってしまうことも多い。ものが二重に見えていたりして読めないことも。

今では、ディスレキシアの問題もなくなったと思っていたけれど、ディスレキシアと上手く付き合えるようになっていただけで、なくなったわけではないんだなあ。・・・と再認識。

小学校の頃、「重度の学習障がい」と診断されて、ショックでした。でも、その一方で安心したのです。というのは、「不注意」なのではなくて、認識の仕方からして全く違っていたことが分かったから。知能が低いのでもなく、文字の認識に特性があって、普通に読み書きすることが障がいになっていることが分かったから。そして、診断されたから、問題がわかり、その対処方法も分かった。

知らないままだったら、「不注意な子」「能力不足」のレッテルを貼られていたけれど、不注意でも能力不足でもなかった。

こうやって書き間違いをして「注意しなさい」なんて言っても無駄なのです。注意力じゃないところに困難があるんだから。

「注意しなさい」じゃなくて、書くところに定規や指をあてるとそこに焦点があたるから間違えなくなるとか、そういう具体的なアドバイスをすることで、ディスレキシアの問題が薄れていく。

そうやって、自分の特性との付き合い方が上手くなってきて、問題も問題にならなくなってきた。でも、こんなちょっとしたところで、やっぱり自分の特性が出てきて失敗しちゃったりする。

もうこの失敗は、学習障害というレベルではなく、人がみんなそれぞれ持っている特性のひとつ・・・というレベル。時間にルーズだとか、計画性がない、忘れ物が多い、物をすぐ無くす、管理能力がいまいちとか・・・誰でも何かしら弱いところがある。それとうまく付き合っていく方法を、みんな自分なりに試行錯誤して生きていく。


学習障がいと言われている子どもは10%くらいはいるもの。でも、「注意不足」「能力不足」とかレッテルを貼らずに、冷静に助けになってほしい。

だって、わたしたちみんな、弱点があるんだもの。レッテル貼らないで、それと上手く付き合う方法を子ども達に教えてあげて、みんながうまく生きていけるように育ててあげて欲しいと心から思うのです。





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かよ|ロンドン在住、楽しく人生をクリエイトするシュタイナー教師&経営者 石川華代
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