併読のすゝめ
昨日、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を読み終わった。
でもこの本、実は今年の七月に読み始めたものだった…!
だから実質、読み終わるのに三か月もかかってしまった。
この本は大して分厚くない。小さな鞄にもすっぽり入る、コンパクトで持ち運びやすいサイズの、ちょうどいい長さの本だ。それなのに、なぜ私はダラダラと三か月もかけてしまったのか。
ちなみに話の内容が面白くなかったわけでは全くない。
内容は面白かった。ヘッセの自伝のような役割を果たしている小説で、繊細な少年の心の成長がまざまざと描かれていて、社会が子供に与える影響について非常に考えさせられる一冊だった。
ラストでは思わず息を呑んだし、胸が締め付けられた。そう、本当に面白かったのだ。
なのになぜ、こんなに読み進めるのが遅くなったのか。
「夏休み、子供が家にいて時間が取れなくて」「なにかと用事で忙しくて」「眠くて集中できなくて」
言い訳をならべたてたところで、理由はいたって明白だ。
「気分じゃなかったから」
なかなかそれを読もうという気分にならなくて、本を手に取るのが日に日に億劫になってしまったのだ。ただそれだけのことだ。
わたしはそのせいで三か月を無駄にしたと言える。
もちろん、全てが無駄だったわけではない。現に一冊は読み終わったのだから。でも、本当はもっとたくさんの本を読むことができたであろう期間を、たった一冊読むために使い果たしてしまったのだ。
「この一冊をちゃんと読み終えてからじゃないと次の本を読んではダメ」
という固定観念に勝手にとらわれてしまっていたせいで。
この固定概念は多分、一冊を中断せずに読み切ることが、その本へ敬意を払っていることになるという考えが頭のどこかにあったからだと思う。
だれしも、一度くらいは「お寿司なら毎日でも食べられる」みたいなことを言ったことがあるんじゃないだろうか(「お寿司」の部分は個々の好きなものに変えて)。
そういうときって、口に出しているときはもちろん本気でそう思っているのだけど、冷静になって考えると、実際はできないことが多いのではないか。私も「銀魂」というアニメが大好きで、友達に「銀魂なら365日毎日見ていても飽きない」と豪語したことがある。でも、真面目に答えるとしたら、ちょいちょい間に「呪術廻戦」やら「進撃の巨人」をはさまないと、多分きつい。
つまり、どんなに好きなものだったり、面白いものだったとしても、その時の気分でインターバルを入れて気分転換したくなるものなのだ。
これはもちろん本に関しても言えること。
つまり、どんなに面白い本を読んでいても、気分によっては途中で他の本が読みたくなることもある。そして、この時に頭の中で分かっていなければならない大事なことは、途中で他の本をつまんだからといって、もとの本の価値を下げることにはならないということだ。
お寿司を五日間食べて、六日目に焼き肉を食べたとしても、きっとお寿司の美味しさは変わらない。「銀魂」を七日間見て、八日目に「進撃の巨人」を見ても銀魂の良さは変わらない。むしろ、「銀魂」の平和な日常に安堵して、その良さを再確認できるかもしれない(もちろん、同時に「進撃」のスリルある面白さも)。大事なのは、そうやって途中で他のものをつまむことで、その行為(この場合は「読むこと」)を毎日続けていくことができる、とも言えるのではないだろうか。
そんな単純なことに三か月も費やしてやっと気づいた私は、これからは一冊の本を読み始めたらそれを読み終わらせるまで次の本は読んではいけないという呪縛を解いて、複数の本を併読し、その日の気分で読みたいものを読み進めるようにしていこう、と思った。一冊あたりの進みはゆっくりかもしれないけど、その方が着実に読む数は増やしていけると思うし、なにより毎日少しずつでも読書という行為をすることができるだろう。少なくとも、一冊を読み終わるのに三か月もかかることはなくなるだろうから…。
もし私と同じような方がいるならば、良ければ一緒に併読をしてみてはいかがだろうか?