寝室に本棚を置いている。
普通はそんなこと、地震の時などに危険だから、しない方がいいと誰しもが言うと思う。
私もそれはわかっている。
けれど、私は本棚がある今の寝室が好きだ。
眠る直前まで、自分の好きな本ばかりが詰まった本棚を眺めていられるというのは、かなり幸福度が高い。
もちろん、耐震対策はしてあるし、地震で本棚が倒れたとしても、ドアは塞がれず、下敷きにもならない配置に寝具を置いている。
多少、本が飛んでくるかもしれないが、そこは目をつぶろう。
元々、かなりの蔵書数だったものを、何とか9割ほど手放して、ようやく買った本棚。
今でこそ慣れてきたけれど、最初の内はどうしても、電子書籍が苦手だった。
ただ読書が好き、というだけではなく、紙を捲って本を読む行為そのものが好きなのだと、初めて電子書籍を読んでみたときに改めて知った。
指先に感じる紙の質感、新しい紙の匂いも、古書の黴臭かったり埃臭かったりする匂いも、何度も捲ってついた汚れも、日焼けした色も、褪せた色も、時間の経過が紙の本には詰まっている。
繰り返し読んで、手元から手放せない本ほど、自分の物語も一緒に綴ってくれる。
電子書籍には、それがない。
文面などは全く同じだろうに、やはり全く違う形態なのだ。
だから、今ある本棚と、本棚の本は、とりわけ思い入れがある。
それが寝室にあるということは、眠りの直前まで思い入れのある本たちに囲まれていられる、まさにリラクゼーションのひとつなのだ。
これから先、どんどん電子書籍に移行していくし、蔵書もあれだけ悩んで悩んで手放したのだから、今持っている本棚に収まらない蔵書は、もう持たないようにしようと決めている。
収まらなくなった時、また私は悩んで悩んで、悩み抜くだろう。
身を切られる思いで、本を手放すだろう。
それでも、それはそれで、その時が楽しみだ。
その時が来るということは、私がずっと紙の本たちと共に人生の物語を綴っていったということだから。
kaya
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