精神科医、神父になる(前編)
こんにちは、鹿冶梟介(かやほうすけ)です!
皆様、人様から"拝(おが)まれた"ことはありますか?
小生は何度かあります。
病気が良くなるよう“祈る”こと自体は、決して悪いことではありません。
しかし、医療従事者を崇拝するような態度には、正直戸惑いを感じます。
小生のことを信頼してのことだと思いますが、患者さんと医師は二人三脚、対等な関係を築くべきと個人的には思っております。
...そうは言っても、患者さんの祈るような気持ちを大切にするためには、その人の物語に沿って治療することがしばしばあります(これをナラティブ・アプローチと言います)。
今回の記事は、小生のことを「神父」とみなしていた症例についてご紹介します。
尚、プライバシー配慮のため、論旨を変えない程度に脚色しております。
【精神科医、貧する】
「金がない…」
2年間の留学生活の後、精神科医は日本に戻ってきた。
留学先で給料はもらっていたが、滞在先での生活のセットアップ・旅行・帰国費用等々のため、貯金は底を突きかけていた。
今ではそうでもないが、当時留学は医師にとっては”箔付"にはなるし、何よりも日本では得難い経験ができる。
苦労も多かったが、精神科医は留学したことに満足していた。
「しかし、 金がない」
精神科医は満足しているはずなのに、気がつくと金のことばかり考えていた。
精神科医は、貧していた。
「今なら、貧困妄想に取り憑かれたうつ病患者の気持ちが理解できる…」
そんな折、大学病院で同僚だったA医師から5年ぶりに連絡があった。
「鹿冶先生、お願い!週1日クリニックを手伝ってくれないか?」
A医師によると1年前にクリニックを開業したが、患者が増え過ぎたため非常勤医師を募集しているとのこと。
大学勤務時代、彼は精神科医と共に患者の治療をしたり、症例報告の指導をしてくれたりと、大変お世話になった先輩だ。
そんな恩人からの頼みを断れるはずもなく、また時給も申し分なかったので、二つ返事で引き受けた。
【精神科医、口を尖らせる】
引き受けたものの、精神科医はクリニックで勤務したことがなかった。
大学とは違う電子カルテに難渋したが、それ以上に戸惑ったのは受診に訪れる患者の”質(タイプ)"が大学病院のそれとは明らかに違っていたことだ。
商売じみた言い方をすれば、「客層」が違うのだ。
大学病院の外来患者は中等症から重症の精神疾患を抱え、入退院を繰り返す「ベテラン患者」が多い。
また大学病院では、精神疾患だけでなく身体疾患との合併が多く、他科併診の患者の割合が高い。
一方、クリニックを訪れる患者は、「軽症」であることがほとんどで、「精神科ははじめて」という"メンクリ一元様(いちげんさま)”も多い。
このため相談内容も様々で、診断がつくケースはまだしも、中には「生活保護を受けたいから診断書を書いてくれ」とか、「心を強くして欲しい」や、「運命を変えたい」など、医療の守備範囲を超えた相談もあった。
勤務し始めて1ヶ月が経過した。
「どうだい、クリニックでの仕事は?大学とはまた違うだろ?」
診察の合間、A医師が精神科医に声をかけた。
「えぇ…。病気の診断・治療をするのはよいのですが、中には医療の対象ではない人もいるので…」
精神科医は、口を尖らせた。
「うーん...、まぁ、確かに”病気"じゃない人も来ることはあるよな〜」
A医師は頭を掻きながら、苦笑いを浮かべた。
「受付の段階で、篩(ふるい)にかけられないんですか?」
精神科医は、率直に意見した。
「そうだな〜、でも、実際に会ってみないと、その人が病気かどうか分からんしな…。それに…」
A医師は手にした缶コーヒーをグイッと飲み干した後、こう付け加えた。
「人助けだよ、人助け。僕らの仕事は、医療という名の人助けなんだよ」
そう言い残し、A医師は隣の診察室に戻って行った。
「人助け…、かぁ」
A医師の当たり前の言葉が妙に腑に落ちた。
【精神科医、切り出す】
電子カルテにも慣れ、診察のスピードも上がってきた。
以前は一時間の枠に2-3人のペースだったが、いまや再診であれば4-5人を入れても余裕がある。
様々な相談内容に対しても、戸惑うことなく「A(アー)にはAの、B(ベー)にはBに相応しい対応」に徹するようになった。
「(人助け、人助け)」
そう心の中で繰り返しながら、精神科医は週一日のクリニック診察にあたっていた。
そんなある日、新規患者の相談があった。
問診票に書かれた内容をまとめると以下の通りである。
ここでは患者名をB美としておこう。
問診票を見る限り、”テンプレート的(あるある)”な悩みである。
とりあえず不眠を治療し、あとは状況が好転するまで待つしかないであろう。
「次の方、どうぞ」
精神科医は、B美に診察室に入るよう促した。
その小柄な女性は、畳んだモカ色のコートを膝に置き、少し緊張した面持ちで静かに椅子に座った。
実年齢より若くみえるが、どことなく影のある女性というのが第一印象であった。
「B美さんですね。はじめまして、医師の鹿冶といいます。問診票に受診した理由を書かれたとは思いますが、もう少し詳しくお聞かせ頂けませんか?」
「…、はい…。」
数秒の間を置き、B美は「子供が受験勉強をしないのでつい叱ってしまう」、「新しい職場に苦手な派遣社員がいて出社が辛い」、「寝入るまでに1-2時間かかり、そのせいでなかなか朝起きられない」と、一つ一つ丁寧に説明した。
「なるほど、そういうお悩みだったのですね」
精神科医はB美の話に相槌を打ったが、一つ引っかかることがあった。
不思議なことに主訴に書かれていた「罪悪感」については全く触れないのだ。
精神科の初診患者が自ら「罪悪感」を訴えることは珍しい。
例えばうつ病の場合、罪悪感は症状の一つであるが、医師が罪悪感の有無について問うてはじめて患者本人が認めることが多い。
「この問診票の主訴にある”罪悪感”って、なんでしょうか?」
精神科医が尋ねると、中年女性は俯(うつむ)き、耳を真っ赤にさせ、貝のように口を閉ざした。
「………」
どれくらい経ったであろうか。
しばらくの間、重い沈黙が診察室の時間の流れを止めていた。
室内に緊張感が充満し、次第に息苦しくなっていく。
「…あの…、言いにくいことであれば、無理に言わ…」
沈黙に耐えかねて、精神科医が切り出すと、
「ふりんです」
B美は蚊の鳴くような声で、答えた。
「…はい?」
「私っ..、不倫をしているんです…!」
診察室の時間が、ようやく流れ始めた。
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