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久世光彦さん追悼 ~ ドラマと歌とマンドリン (2006.03.03)

久世光彦(くぜ・てるひこ)さんは、私の尊敬する数少ない日本のドラマ演出家だった。

久世さんを紹介する文には、必ず「『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』など、バラエティの要素をホームドラマに取り入れた斬新な演出手法で一世を風靡し…」といったフレーズが使われるが、私にとって忘れられない久世作品は、'92年の12月に放送された単発ドラマ「みんな夢の中 〜ある偽ハマクラ伝〜」(関西テレビ)である。その2年前に亡くなった作詞・作曲家 浜口庫之助さんへのオマージュであるこの作品は、「偽ハマクラ」を演じる玉置浩二さんが、劇中でハマクラメロディを歌う。島倉千代子さんもその母役としてワンシーン登場し、酒場で酔いつぶれながら歌う。「時間ですよ」などが、バラエティとドラマの融合だったとすると、この「みんな夢の中…」は、歌番組とドラマの融合だった。

フィールドこそ異なれ、当時から「ドラマティックなストーリー性を取り入れなければ、歌番組の将来は無い」と考えていた私にとって、この作品は、刺激的なものだった。当時まだ20代だった私は、歌番組の側からドラマ性を取り込もうとする番組を考えたが、企画案を提出する度に、想像力の無い上司に握りつぶされていた。私の在籍していた音楽芸能番組部と、ドラマ部との間に、頑迷なセクショナリズムの壁が存在していたNHKでは、結局、新しい歌番組を実現することなど、最後まで不可能だった。

久世光彦さんとはその後、私の担当したFMラジオのトーク番組で一度、お仕事させていただいたことがある。あれはたしか、氏の小説家としての出世作『一九三四年冬-乱歩』が出版される直前だったと記憶しているので、'93年だったか。人事異動の直後で、前任者が捻り出した企画を私が引き継がされたのだが、「名探偵対決 明智小五郎対シャーロック・ホームズ」みたいなその安直なクソ企画のせいで、久世さんは最初、出演を渋っていた。テレビ界、演出界の大先輩であるこの人に、上っ面な出演交渉の手練手管などは通用しない。久世さんとの初打合せの席で、私が、自分も大の江戸川乱歩好きであることを話し、「明智小五郎」は江戸川乱歩の創作のごく一部でしか無く、乱歩の本質はもっと別のところにある、と自分も理解していることを伝えると、久世さんは少し前向きになって下さったようだった。

『一九三四年冬…』のゲラコピー原稿を読んだ感想のひとつとして、「ページが…黒い、と思いました」と、私は言った。「ん?」という顔をする久世さん。私が、「つまり…画数の多い漢字が多く使われていて、無駄な改行も少ない。ページが、字画で埋まっていて、結果、『黒い』。昭和初期頃までの文学と同じページのイメージで、とても好きです。」という意味の事を話すと、久世さんは少し笑って、「なるほど。それはね、狙ってますよ」とおっしゃった。内容のみならず、ひとつひとつの画像としてページ全体が読者に与える視覚的イメージをも、演出家である久世さんは、やはり意図されていたようだ。

小説中には、西洋美人がマンドリンを奏でる場面が登場する。「このマンドリンの曲はね、譜面もあるんですよ」と、久世さんは言い、ペラ1枚のメロディー譜を見せて下さった。「小林亜星さんが書いてくれたんです。」私は譜面を見て、少し考え、「この曲、実際に演奏してレコーディングしましょうよ」と言った。「えっ?そんなこと出来るの?」「出来ますよ。マンドリン奏者を手配しますので。で、録った曲を、番組中で流すんです。」「…それは面白い。」こうして、久世さんは、番組への出演について、なんとか乗り気になって下さったものだ。

「何故、小説を書くのか」という事に話が及んだ時、久世さんは、「私は、自分が今までテレビでやってきたことに自信を持ってはいるけれど、自分が死んだ時に、『久世光彦…演出家』に加えて『これこれの著作もある』と書かれたい、と思って。」と、おっしゃっていた。

久世さん、各紙のおくやみ記事、読まれましたか?満足、ですよね。突然の訃報ではありましたが、きっと、満ち足りておられますよね。

(2006.03.03)


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