【読書という荒野】見城本、読書感想文、書いてみました。
読書という荒野
見城さんから、
ヒトやモノゴトとの対峙する時の、一貫した自分の在り方
を持つことの大切さを強く感じる。
それは幼少期からの膨大な読書体験、そして極限状態で踏み絵を踏み抜いていった人達への想いが根底にあるからブレないのだろう。
見城さんと同じレベルで、というのは誰にでもできることではないかもしれない。でも見城さんにとっての五木寛之さんや高橋和巳さんの作品のように、私にとってはこの「読書という荒野」が瀕死状態になってからの最後の一歩を踏み出す力を得る本になるのだと思う。
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第1章
「何が書かれているか」ではなく「自分がどう感じるか」
まさに。音楽もそうだ、どう感じるか。
そして、やはり言葉を獲得するためには読書しかない。
自分は推理小説が好きだ。
それは改めて考えてみると、自分の人生はそこまで極端になれない、自分の人生がなまぬるく感じるほどの一種の極限状況における、生と死に関わる判断が行われる場面に多く出会うからなのかもしれない。
トリックが奇抜なものも好きだが、東野圭吾さんのような些細なきっかけから表出する日常に潜む危うさ、一歩間違えれば自分もそちら側へ踏み込んでしまうのではないかとも感じる内容にひかれる。そういう作品は、登場人物が各事象、各場面で「どう感じているのか」の心情描写がとても深い、余韻というより爪痕を残すがそれも心地よい。
本と向き合う時は、没入する感覚を大切にしている。書き手も没入して書いて、言葉を研ぎ澄ましてるからこそなんだろう。
「価値がある」ものとは
自分の気持ちが動いたもの、である。更にはその時の気持ちを言葉にして残しておくことで、あとで心情が蘇る。
自分にとっても靴は、アート作品に似た感覚で見ている。本当に様々な工程を経て、平面から立体に組み上げられた造形物だ。それぞれを手にした時には色々な思いが浮かんできている。今後はそれを言葉にして残すようにしようと思う。
第2章
誰にも理解されないことが前提
この本を通して感じることだが、自分の普段話していること、考えていること、その前提が如何に勝手に自分中心に考え過ぎてしまっているか痛感する。自分に甘すぎる。もっと自己嫌悪、自己否定をしなければならない。でもなかなか生活の中で取り組めない。だからこそ、読書する時間、研ぎ澄まされた言葉に刺され、現実では難しい「非倫理」を全力で生き切る時間を作ることが重要なんだと思う。
本文から引用すると、
「生きることを真剣に考えると、必然的に読書に活路を見出すことになる。」
ということだ。
編集者の方々がされていることだが、相当な時間の対話と相当な苦労の言語化を経て出来上がった完成品を、読書として浴びることができる。これをリアルな会話として行うためには自分から相手の言葉を引き出すこともしながら、脳内で適切な言語化をしていく。読書は自分の人生の望むタイミングで、望む言葉を何度でも浴びることができる。凄いことだ。
第3章
極端になれ!
賛否両論を生む、今でいう炎上するにも近いと思うが、やはりそこまでの極端さがないと人の心は揺さぶられない。人の批評対象になり得るものを自分の内側から生みだすことができるのは、やはり凄い才能だ。
「作品と読者の心がシンクロしたときに、それは単なる表現を超え、現実を動かす力になる。」
とても腹落ちした一文である。今まで言語化できずにもやもやしていたことが晴れた。私の大好きなHi-STANDARDというバンドのギタリスト、横山健さんが似たニュアンスのことを言っていた。
「音楽に世界は変えられねえ。音楽にケツを蹴り上げられて、熱い気持ちになった奴が行動して、そうして世界は変わっていくんだ。」
こういった言葉はエピソードとして聞くのも良いが、やはりその場の熱量と自分の心の高まりの中で浴びるからこそ刺さり、シンクロするものだと思う。だからこそ、生身の人間が楽器を持って目の前で全身全霊で演奏している音を、その状態から溢れ出るMCを浴びにライブハウスに行くことは自分にとってとても大切な時間だ。
余談だが、五木寛之さんの名前を家で出したところ意外にも奥さんが知っていて、ちょうど昨日朝から五木さんのエピソードを思い出すキッカケがあったと言っていた。やっぱりアウトプットしてみると新しい発見があるものだ。
第4章
○○と生きた日々
今自分の人生を振り返って、そう思えるような濃密な時間を過ごせているだろうか。自分の中に強烈な衝動が無いのであれば、それが滲み出ている表現者と熱狂した人生を送りたい、そうした人生を送っている編集者が生み出した作品から豊饒な言葉を獲得したい。
第5章
○○し尽くす
極端ということにも似ているが、旅と恋愛はやはり自分と向き合い、考え尽くすしかない状態になることなのだと思う。そこで一旦は解を得たように思うがまた壁にぶつかる。そこで読書により、極端に研ぎ澄まされた言葉に触れ、また自分の内面へ向かっていく。その段階ひとつひとつで、やり尽くして極端に動くことで見えてくることがある。
第6章
言葉はそれほどまでに重い
三島由紀夫の選び抜かれた言葉、恥ずかしながら小説以外は読んだことがなかったので、非常に刺激的だった。内容への賛否とは別に、自分の命を賭けて発したこの言葉に何も感じない人がいたら、その人達とはうまく付き合える気はしない。
また、私はセミナーなどの質疑応答が苦手だ。批判されてしまうのが怖い、というのもあるが、研ぎ澄まされた言葉たちに対して、考え抜けていない状態で質問するのが不誠実じゃないかと思うからだ。だったら考え抜けよ、という話なのでもっと読書を通じて、対等に言葉を発せるようになるしかない。もがき苦しみながら実践者へなるしかない。
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また新しい言葉、人生との出会いを求めて、荒野を彷徨い歩き始めます。
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