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生きる事は食べる事で


食べる事は
殺す事なのだから。

「いただきます」

生まれてから今に至るまで
何度言ってきたのだろうか

何故、手を合わせて
いただきます
と言うのか
という僕の問

誰かが答えてくれていて
「料理を作った人が居るから」
「食材を育てた人に向けて」
「食材を捕った人に向けて」

納得は行く。

僕は料理ができなかったので
確かにそれは
有難いことで

素直に、というか
違和感なく
いただきますが
理解できていたけど

「命をいただいてるから」
という理由が

言葉と仕組みとしては理解できるけど
感覚的に、というか
当時の自分は
すっきりとしていなくて

植物は育てた
野菜は育てた
大変だった
これは小さい時に
理解して

その後大人になって
未だ気になっていたのか

魚釣りに一時期意識が向き
魚を釣って
モリで突いて

自分の手で失わせた命を
自分の手で丁寧に処理して
自分の手で食べれるようにして

自分の口に入れ
自分の胃に入れ
自分の血肉になって
自分の明日になって

なるほど
そりゃあ
「いただきます」だなぁ

釣りで
魚で実感。

と同時に
自分の血肉にならない殺生は
全てやってはならない行為に感じて

出された食べ物を残したり
捨てる事はいつからか苦手だったけど
さらに激しい抵抗感を覚えて
前にも増して
残さず食べようかな、と

それと、無益な殺生
蚊の1匹
蝿の1匹をも
日々の中で殺す気が失せた。

食べれない命を
無闇矢鱈に
奪おうと思えなくなったわけで。


お店で売られている
沢山の肉
特に鶏肉と
あと、サガリ

ほぼ毎日肉を
食べているけど

見えない所で誰かが
殺してくれていて
綺麗にしてくれていて

それをお金を使って
代行してもらって

処理済みの
命が無くなったあとの肉を
普段は食べているので

ああ、まあ
ある意味毎日が他力
生きる事が他力なのだなぁ
自分は
と。

理想
毎日の食卓は
せめて自分が食べる分は
全て自分で奪った命を食べていたいけど
それは現代では難しい。

お金は
代行の為の道具、か。

なるほど
だからお金が必要なのか
お金が有るから不要になったのか。

生きる事は食べる事で
食べる事は殺す事
かぁ。

そうだね。その通り。

できれば、肉類も一通り
口にしてきたものは
一度は自分の手で
失わせておきたい
ちゃんと、敬意を表し
代行ではなく。

こんな風に
料理中、食事中考えるので

先日
今年74歳になるが
とてもそうは見えない方とお会いし

色々聞かれたので
お話した所

「いつでもウチにおいでや
うちのニワトリ、締めさしたる
そのまま鳥刺しにして食べよか」

と、お誘い頂きました。
まじかよ。急だな。

望んでいると
本当に目の前に
急に来るようで。

「ついでにみかんとって持って帰りや」  

有難いビタミン。

「ついでにイノシシと
できたらシカも用意しとくな」

ついでで用意できるものなんですね。


生きる事食べる事で
食べる事は殺す事。

植物にも命があり
痛覚ですらあるのだから
どんな食物も命があるのだから

そうね、これからも
いただきます
は言おうかな。

狩猟免許
欲しいなぁ。







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