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「私」とはこの身体のことと心得る

 心は大切だ。それは「中身」だと言われるように、私達の思考や感情や価値観などを定義する。1000人いればそれだけの種類の心があり、それらは全て平等で尊く、あるいはそう扱われねばならないものである。

 だが、心は私達の全てではない。というよりもこの現実世界において、私達はどこまでいってもまず「身体」ありきだ。それがなければ社会や他者と関われず、意思疎通も難しくて、触れることもできない。
 どのように心があろうとも、その状態がどうであっても、私達はそもそもが身体なのだ。あらゆる体験は身体によってまず受け止められ、心に浸透していく。なのに私達は、人格を心だと思っている。だから身体のことは外側として、どこか自分自身の本質ではないものと捉えがちだ。
 しかし事実として、心は見えないが身体は見える。それは確実に触れる。「ある」のだと確認できる。感情は血流の変化であり、記憶は神経細胞の繋がりであり、性格は電気信号の結果である。

 それ故に、身体こそが私なのだ。私達は身体なのだ。すべてはそこから始まっている。そしてすべてはその消失をもって終わる。身体なくして「私」はない。精神や心などの何もかも、私達のそれぞれの、異なる身体に宿っている。
 その事実を私達はきちんと認識し、自分自身のことをはっきりとこの現実のものとして捉えることが大切である。

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