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創作は政治なのか(政治をテーマにするという意味ではなく)

 ところで、個人的なことは政治的なことであるわけだが、とりわけ創作的なことも政治的なことである。
 なぜならば創作とは個人から出発し、そして大衆へと(往々にして)発表されるものだからだ。また、そこには多くの個人的な思想が含まれており、こうありたいという世界への願いが込められている。それを、まさにそうでない世の中へアピールするという構造は、政治的にもほどがあるからだ。

 この、政治と個人と創作の三角的な関係は強く、創作性と政治性がわかちがたく「個人」という概念に乗っかって存在しているのだと理解できる。当たり前にこれは個人というものの強さゆえに起こっていることであり、創作は確かに何をするにも(個人の)自由だが、同時にその障害として他の個人の自由が立ちはだかるという点においても、まさに政治的なのだと言わざるを得ない。

 それは闘争であり、この世の理想という素朴な願いたちの対立である。勝ったものが世間に知られ、広まっていく。そしてそれは影響力を与える。必ずしも「事実」という形ではなく、あるいは比喩や例え話、イメージという形を通して。
 そしてなお、創作が個人を超えて、もっと多くの願いを同時に内包したとしても、このことは変わらない。創作とはどちらにせよ「1つ」にまとまって発表されるものだからだ(発表するのなら)。それは願いを結実させて、政治的なメッセージを表明する。
 「こうであることはどうだろうか?」。
 そのように、創作的なことは政治的なことだ。個人的なことに支えられて。創作は政治であり続ける。実際の政治とのかかわりは関係がない。もちろんそういうことではなく、だからこそ、創作的なことは個人的なことで、政治的なことであれるのである。

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