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キャラクターには「感情」では足らない。「情動」を。

 自分が好きなキャラクターが楽しそうにしていると自分まで楽しいし、悲しそうにしていると慰めてあげたくなる。怒りや、笑いや、喜びについても、私達はその主体が「気に入っている」という点において、その内面を分かち合おうとする。そのような、いわばファンがついているキャラクターというのは幸せであるし、その「売り込み」は上手くいっていると言えるだろう。
 即ちキャラクターとは、その感情を商品とした架空の主体であると考えられる。第一に感情であり、それを見せて繋がりを持つというのが、仕事の大部分を占めるだろう。キャラクターとは感情のかたまりなのだとの言説もあるくらい、その存する心情や、考えていることや、それに際して表すものというのは重要である。

 だからといって勘違いしてはならないことが1つある。それは、キャラクターとは感情が最も大事なのだというわけではないということだ。あくまでもその表す感情は前提であり、存在意義であり、そして基礎の部分だ。それを踏まえてキャラクターは、彼/彼女らの中に渦巻く想いを様々に揺れ動かす。そして何より私達は、その揺らぎをこそ、楽しみにしているのである。
 即ちそれは「情動」だ。感情ではなく情動が、キャラクターの本体である。そしてそれはある種、私達の本体であるとも言えて、自己表現であり、なくてはならないものであり、隠せない真実である。
 それ故に、キャラクターを好きになるというのは、その情動に惹かれるということだろう。友達と思っていた相手を好きと気づいたときめきとか、復讐のために親の仇に教えを請うとか、これ以上イジメを受けないように苦労して母親が貯めた金を盗むとか。そういった何らかの感情から感情への移動、つまりここでは「情動」というものが、キャラクターにはまさに求められる。
 なぜならキャラクターは注目を集めているからだ。一般人ではない。70億のうちの1人ではない。それえはもう舞台に上げられてしまった名前のある誰かなのだから、その注目に足る感情を提供しなければならないのである。

 そのような、まさに「劇的」とも呼べる感情から感情の変化が、情動だ。それなくしてはキャラクターは興味を持ってもらうことを、維持できなくなる。それではキャラクターとしての存在意義が揺らぐ。ファンがつかずに、幸せではなくなる。
 だからそれらには、情動が必要だ。ただの感情ではなく、喜怒哀楽などという単純なものではなく、それらの動きと変化とその理由と、そして結果を伴った情動を。

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