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「結果」主義を脱ぎ捨てて、「経過」を武器にして

 成果をあげるには「経過報告」が不可欠だが、残念なことに人間はその多くが「結果主義」である。どんな物事でも一回で上手くいくはずがないのは、よく考えれば誰でもわかる。常に私たちは「初めて」に直面し、「未経験」はなくならず、いつも「開拓」しながら過ごしているから。

 でも、そんな中で成果をあげるというのは、中途半端ではなく「ちゃんとした何か」をもってそうだと思うのが当然である。なぜなら経験がないことに成功するのには、不確実な運に頼るしかないからだ。そんなもの、いつでも発揮できるわけないし、今がそれを発揮できるなんてわからない。
 ゆえに、確実な成果を望む我々は結果主義になる。何かをなさねば成果ではないのだ。でも本当は、成果をあげるには、結果ではなく経過を重視すべきなのである。

 それは、まさに誰でも常に初めてを生きているという事実による。どれだけ経験豊富でも、実力があっても、知見を持っていても、人間が他の人間と関係を持って生きている以上、初めては訪れる。それは不確定な要素、わからない未来、知らないルール、そしてなにより、常に生まれ続ける私たち自身の考えが、「初見」を形作っている。
 即ち、誰も「本当の成果」などわからないのだ。どれだけ決まりきったように思っていても、わからない。正解などない。だから、それを確定させていくために「経過報告」が大切なのである。「共有」し、複数人で確かめ、わからないことを判明させていく。曖昧なことをはっきりさせていく。

 そうすることで本来の「成果」が訪れる。それは「経過」の力だ。結果ではなく経過を武器にする。その意味を忘れてはならない。

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