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「古臭い」は、時代を生きる我々の叫び

 古臭いというのはほぼ「説教臭い」と同義だ。

 つまり思想や常識や定義などを押し付けるという行為は、それらが「振り返ってみてほしいもの」であることを強調する。わざわざ押し付けるということは大抵、それらは今は通用していなかったり忘れられていたり、捨て去られたものなのだ。
 だからどうにかしてそれらの価値を認めて欲しくて、行動する。するとかえって古臭さが際立つ。説教臭い。わざわざ説明する。聞いてもいないのに語る。求められていないものを目立たせる。そうでもしなければ、もう見向きもされないものだから。そう感じてしまっているから。

 だからますます、人はそれを押し付ける。

 古臭いとは何か、ものの「状態ではない」。それは「行為」なのだ。わざわざ持ってきて、それが正当であると認めなさいと強調する行為。それこそが古臭いということ。見苦しく、必死で、惨めな、でも、認められなくなったものを大切にしたい私たちの哀叫。
 悲しいことである。「あるもの」はかつては確かに、当たり前だったものだし、なくてはならなかった。しかし時代は変わる。物事はなんでも「昔のもの」になっていく。そのことに焦り、今ある当たり前とのギャップに黙っていられなくなる。
 声をあげたくなる。そうしてそれは、どうしたって古臭くなっていく。

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