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すべきすべきと、したいを捨ててまで

 やるべきことにとらわれて、やりたいことを遠ざけてしまうのは明らかに不幸である。たとえば子供が勉強をしなさいと言われて、それがやるべきでないとは思わない。たとえば大人が仕事をしなさいと言われて、拒否することはない。もちろん色々思うところはあるけれど、この世にはそんな「すべき」があふれている。
 常識的、法律的な至極当たり前のものから、好き嫌いするな、ちゃんと寝ろ、運動しろなどの生活的なものまで。本当に私たちは誰かの言う「すべきこと」に囲まれている。しかしそれは当然私たちの「したい」ではない。
 なのに多くの声が蔓延る現代では、ついつい誰かの言葉に耳を傾けてしまう。そうして「すべき」はいつの間にか「したい」になる。そうだと認識させられる。そうしなければダメなのだと思い込まされた時に、狭められた人生は不幸以外の何物でもない。

 簡単な話だ。「すべき」にはメリットがあるが、大前提としてそれは1つの意見に過ぎず、加えてコストやデメリットもあるのである。すべきことは確かに私たちをより良くしてくれるものかもしれない。
 でもその根拠は確かとは限らない。そしてそのために私たちは労力を支払う必要があって、なんなら知らない負債を背負うことだってある。それにメリットは、必ずしももたらされると約束されたわけでもない。

「すべき」は力強く、「したい」は自分勝手に思えるものだ。だからこそ私たちは、それらの本当の姿を自分の心と照らし合わせて見極める必要がある。
 そうしてきちんと考えて、やるべきことを、やりたいようにやって然るべきなのだ。自分の人生なのだから。自分のことなのだから。やるべきことにとらわれて、やりたいことを遠ざけてしまうのは不幸である。
 大切なのは考えることである。その上で決断し、実行すること。すべきも、したいも大切なものだ。だからこそそこに、「自分」の意思が不可欠である。

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