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確率は過去のものではない。未来のものだ

 確率というものを感じることはできない。それはあるが、まるでないものかのように思える不思議な代物だ。それは常に平等であり、偏りなどなく、それゆえに予測が困難なものである。少なくとも、確率的に次に何が起こるのかということについて、本当に確信的に言えることは何もない。
 しかし私達は、たとえば確率の「偏り」なるものを信じてしまう。コイン投げで3回連続で表が出た次は、裏が出る確率が高いと思うはずだ。実際はどうかわからない。その都度更新される「確率」の公正さは、生まれてから死ぬまでを連続して生きる(つもりの)私達にとって、信じがたいくらいに、「これまで」と「これから」が切り離されている。

 だから、確率を見る際には過去ではなく未来を見なければならない。もちろん確率は、ある種の経験則や法則、実験などによって積み上げられた過去の蓄積から導き出されるものである。
 でも確率自体はそれを参考になどけしてしない。それは常に現在から未来に何が起こるのか、どのくらいの頻度で起こるのか、どれくらいの期待値があるのか、そういったことを見据えているに過ぎない。

 そう考えなければ、確率を見誤る。確実に。たとえそれがこの連続した時空の中の事象であるのだとしても、それを1つ1つ考えることができる以上、それは独立して、常に原初から始める。

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