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「気にしない」という成長促進要素
学業、成績、仕事、業績、目標、達成。生きていると必ず悩むことになるのは、「成長」に関してだ。前にできたことはいいとして、さらにその先に進めたという実感が、私達を大いに満足させる。この実感のために努力し、工夫し、学び、そして成長するということが、私達には1つの生きる意味になっている。
だからこそ、成長しない/できないことを良しとする人はいない。いつでも、そうできるのならそうしたいと思う人は多いはずだ。けれども現実には、成長にも才能や上限や時期というのがあって、どうしてもそうできないことがある。
自分が成長したいと思っているのに、中々そうはならないというのは、とても焦るだろうし、嫌な気持ちになるものだ。それくらい私達は、成長にとらわれているとも言えるだろう。
成長というのが無条件に、いつでも絶対にいいことかというのはおいておくにしても、成長のためには「気にしてしまう」ということは避けた方がいいことは事実である。
つまり、私達は色々なことを懸念したり、見てしまったり、考えてしまったり、悩んだりする。未来というわからないことを、いつまでも考える。そういう時にどうしても、「成長」はその人には近づきにくいのだ。
反対に、気にしないことは成長を促す。なぜなら成長に必要なのは試行回数だからである。気にせずにどんどんやっていくことは、回数を稼ぐことにほかならない。それがもっとも役に立つ。どんなにやり方がまずくても(むしろ間違っていてさえ)、度を越した試行回数があればいつか絶対に成長する。
そして大抵の人間は工夫するのだから、試行回数はもっと少なくなる。その現実的な回数をこなす程度に私達は「まあいっか」の精神でいられるのなら、基本的にはなんの問題もなく成長できる。そういう仕組みだからである。
言ってみれば、世に言う成長というやつはそんなものでしかないということだ。試行回数によってあらかたどうにかなってしまうくらいで充分なものなのである。でも、だからこそその回数という絶対的な指標において、勝ち負けが決まるとも言える(勝ち負けの話ではないが)。
基本的には回数が多ければ成長のチャンスが多いということなので、やはり、何かを気にして立ち止まるようなことがあれば、せっかくのチャンスが少なくなってしまうことに繋がる。
そういうわけで、「気にする」ことは成長を妨げる。だから「気にしない」でいい。何をというと、なんでもだ。何を気にしないのかということですら、気にしていては立ち止まってしまう。
せめて、気にするのは別の機会にとっておいて、成長しようという時にはなるべくなら気にしないようにする。とにかく。それが成長のためにいいものであると信じて。
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