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「自己保存力>解決力」 の現代病理

 我々は常に自分を守っている。自己保存の原則だ。これは自分自身の存在を世の中に肯定させ、活動範囲を拡大し、他者よりも有利に生きることを目指すものだ。有利というのは、問題が起こりにくかったり、起こってもすぐに解決できるような状況を作り出せるということである。自己保存の法則はこのためにあると言ってもいい。
 けれど、本能的なこの原則が今、私たちの枷になることも少なくない

 自己保存を目指すために不可欠なのは自意識である。自分がどのような存在であるか、立場であるか、意見を持っているか……そういったことに関する意識。それを強く持てば持つほど、自己保存のための戦略が明確になる。
 だからこそ、人間はこれまで、この自意識をどんどんと広げていった。優先し、制限されていた権利を取り戻してきた。
 そうすると、私たちの意識は外ではなく、内に向かうことになった。これは、単純な内側というよりも、外側を見るときに必ず自分自身を意識するようになった、ということだ。即ち、何か問題を見かけたとき、それ自体ではなく、それと相対している自分の感情や意見を必ず意識してしまっている、というわけだ。

 結果として、私たちに当事者意識は薄れることとなる。
 当事者意識とは、その問題に巻き込まれている感覚のことだ。ある問題に巻き込まれている人は、その問題と進退を共にしている。もっと言えば、その問題を解決すれば有利になり、そうでなければ不利になる、という責を負うということである。これが、本来、問題に巻き込まれ、当事者意識がある私たちの在り方だ。

 現代では、このような当事者意識は薄れている。起こる問題が複雑化し対処が難しくなったなどの理由もあるが、何より、自意識が強まっていったことが大きい。
 自意識が強まることは、問題を解決することを優先しないからだ。それよりも自分の感情などを意識し、問題に巻き込まれている意識は二の次となる。つまり、問題の解決によっては、自己を有利や不利にしない。
 そんなことよりも、自意識を高めることで自己保存の戦略を明確化し、もっと直接的に自分のためになることをしようというのが現代なのである。
 だから、外側で起こる様々な問題についていちいち当事者であろうとすることはありえない選択となる。

 結果として、私たちは今、問題を解決することからは遠ざかっている。これこそが枷であり、ジレンマだ。自分を守るために自分のことを知ろうとし、そうして見つめ直している間に、私たちは問題解決の意欲を失っていった。当事者意識が薄れ、問題解決と自己存在を切り離すことには成功したものの、とどのつまりはそれら諸問題の解決に頓着しなくなった、ということだ。

 私たちーー生き物は、究極的に自己中心的である。それが現代は特に顕著だ。自己保存を強めていった結果、元来持っていた自分自身を優先する性質が露骨になった、と言える。

 しかし、そのことで世の中には未解決の問題があふれかえることになった。これを解決するメリットは、もはや今の自己保存的な私たちには見いだせない。それよりも私たちは、自意識を高め、その問題に対してどう思うのかを表明する作業に忙しい

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