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皆勤賞がすごかった意味を考える。「無事之名馬」の真意

皆勤
一定期間内を、指定の休日以外は1日も休まずに出席・出勤すること。無欠勤。無欠席。「―して表彰された」

デジタル大辞泉

 もう、皆勤賞は意味がないものだと言われる。それは昭和の遺物で、あまりにも形式的すぎ、中身を見ず、そして間違った学業や労働のあり方を、人々に刻んでしまうものだとされている。
 1日も休まずに学校や職場に行くこと。しかも決められた始業時間を守り、無事に「顔を出すこと」。これはなぜ、かつてそんなにももてはやされ、そして目指すべきこととして設定されていたのだろうか。

「無事之名馬」という格言らしきものを唱えたのは、作家である菊池寛らしいが(実際には岡田光一郎によるものというのが正しい)、ともかくこの意味するところは、無事であることが名馬の証である、といったところのようだ。
 言わんとするところは理解できる。つまりその本来の能力(学業や仕事の成績)ではなく、まず無事なこと、やりとおすこと、馬で言えば怪我もなく走り続け心配事もないことが、なによりも良いものの証なのだということである。
 なるほど、確かにどこか納得できそうだ。無事之名馬。これはまさに皆勤賞の源流に思える。なによりもまず健康でいることがどんなに難しいか。そしてそれをやりとげるには運も必要だろう。そういったことを含め、脱落せずに続けることを、尊ばないわけがない。

 ただ、菊池寛はこの格言について、「無事是貴人」という中国の言葉(『臨済録』)から取ったとしている。その真意はどうあれ、後世に伝わる言葉としては、実はここが1つ、解釈の異なる要因になってしまった。
 つまりこの格言は禅の言葉であるところ、「無事」とは「求める心がない」ことを言う。禅は仏になるためのあり方なので、その道を歩んでいるとどうしても仏になりたいと思ってしまう。つまり求めてしまう。だがその気持ちがあるうちは、仏にはなれない、貴人ではない。
 だから、無事であること即ち求めない心を保てと言われる。そうである時、貴人として在ることができるのだということである。けして、ただ健康であることや、何かをやり通すことを指しているのではない。むしろ何かをしようとして躍起になっていること、頑張りすぎることをこそ、この言葉は諭している。

 立ち返って、皆勤賞の価値観とは、この点における勘違いから、あるいは思い込みから来ているように思われる。無事之名馬を代表するように、私達の遺伝子には「頑張ること」がどうにも深く刻まれている節がある。
 しかし、「無事」の意味が違うのだ。それは健康のことではなく、「無」なのである。あえて、求めてやまないはやる心を落ち着けて、ふと立ち止まって目的を忘れてみる。自分にも他者にもそれを求めない境地。
 そういうことも、何かを成し遂げるためには、真に必要なことなのではないか。皆勤賞のよく思われている意味と、恐らくその源流らしき言葉とのギャップは、私達にそんなことを教えてくれる。そう思える。

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※参考文献:
デジタル大辞泉 皆勤
臨黄ネット 禅語 無事是貴人
優駿 無事之名馬


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