読書会 円地文子 『妖』 レポート
半実録Bゼミ読書会リポート:栗原良子
Bゼミは、詩人正津勉主宰で、およそ30年間、月1度継続している自由参加の読書会です。
当初は高田馬場界隈で会場を借りて実施されていましたが、2020年コロナ期より、毎月最終金曜日の夜に、リモートで実施。正津勉の博識体験と自由な指導により様々な作品から、時代や民俗の読解、参加者の率直な感想が聴ける貴重な機会になっています。
半実録第6回
課題 円地文子『妖』
2024年9月27日(金)6:30~8:30
*源氏名・性別・年齢は、筆者判断による適当表示、発言はメモから起こした概要であることをご了承ください。
【作品に関わる作者年譜概要】
*円地文子(えんちふみこ)
1905年(明治38)父上田萬年は東京大学の国語学教授。次女として、台東区で出生。
1911年(明治44)6才 台東区谷中清水町に転居(『妖』の舞台に重なる場所)。芝居・古典好き一家の環境。
1924年(大正13)19才。小山内薫の講演に感動。築地小劇場に通い、戯曲を書き始める。
1926年(昭和元年)21才 父萬年、貴族院議員となる。
25才 10才年上の新聞記者円地与四松と結婚。27才 長女出産。
1932年(昭和16)36才 慰問団の一員として、40日間、南支那及び海南島を巡る
1937年(昭和21)41才 子宮がん手術、数回生死をさまよう。42才 小説執筆活動再開。
1956年(昭和31)51才 9月小説『妖』発表。
1986年(昭和61)11月14日死去 享年81才。
【代表作】
『ひもじい月日』、『女坂』、『食卓のない家』、『源氏物語』(現代語訳)
【主な受賞歴】
女流文学者賞、野間文芸賞、女流文学賞、谷崎潤一郎賞、日本芸術院会員、日本文学大賞、文化勲章、文化功労者
【当日の記録】参加者10名
※源氏名・性別・年齢は、筆者判断による適当表示、発言はメモから起こした概要であることをご了承ください。
正津勉 この作品のタイトルは「よう」と言うらしいが、自分は「あやかし」と読みたい。昔、三一書房で短歌大系を担当した時に、円地さんを訪ねて月報の執筆をお願いする機会があったのに、その時行かなかったのは残念。また、当時の文学資料を見たら、下町生まれの文学者が円地さんだけでびっくりした覚えがある。インカさん、読んでいかがでしたか。
インカ♂(73)だいぶ昔、短編全集を読んだ折、それに収蔵されている唯一の女性作家でした。改めて読んでみると、良い作品だった。バックグラウンドとして古典の素養があって、文章がすばらしい。3人の登場人物や坂を上ってくる描写がいい。それから当時は、入れ歯が早かったんですね。印象に残りました。正津先生が言われる、男女の間には何か「物」を置きなさい、というのがこの場合・・
正津勉 そうそう。呉州赤絵の花瓶。妄想の中で割ったりして・・これが生きている。この作品が書かれたのは昭和31年。彼らは戦争の被害者。春本の翻訳をしなければならない妻などアメリカが家庭に入ってきているということ。そのへんも読んでほしい。カマチさん、いかがでしたか。
カマチ♂(69)たしかに抑留の話とか、詐欺まがいの骨董ブローカーとか、戦後の状況がよくわかる点はおもしろいが、自分には心理描写が、ここまで書く必要があるのかと思ってしまい、自分好みではないのです。場面設定も坂道と自宅から動かないから窮屈。それから老いの描写に共感はあるが、いちいち書き連ねるのはどうだろう。漱石などは暗示的に提示するが、このように具体的に書かれると辛い。2度読んだが、最後の若い男女の抱擁でベルが鳴ったオチは、わざとらしいと思う。
ドラミ♀(69)たしか高校生の時に読んでいたとおもうが、その時には、年配の夫婦のクールさをこんなものなのかと思っただけ。50年たったら、とてもリアルに、ある夫婦の暴露話のようで身につまされる。自分が生まれた頃の作品だが、こんな夫婦は当時まだほとんど存在していなかったと思う。現在の夫婦のかたちだ。子どもたちが結婚して海外に赴任したり、妻は経済的に自立して知力もあって、妻が夫を冷静に見ている。男性はぎょっとしたのではありませんか。
ジョイ♀(75)初めて読みました。身につまされ、よくわかるお話です。夫とのすれ違い、特別な階級の家庭のお話で、その頃には珍しかったと思いますが、現在では家庭内別居も珍しくはない。若いアシスタントを雇ったり、力のある女性を感じました。わびしい入れ歯のキスの話の後で、最後、若い男女が交わしているキスのエピソードで終わっているのはうまいと思いました。読みごたえのある短編でした。
アタマ♂(67)心のすれ違いがここまで感じられるのは、女性ならではでしょう。人間関係を描くことができる作家だと思いました。最初生理的な違和感があったが、2度目に読むと、アメリカ人が骨董を漁るときの仕組みや、老いの生理的な描写に不思議な感覚を味わいました。
ズシウミ♀(70)読みにくかった。設定場面が、狭い土地の細長い建物の中にぎちぎちに詰め込まれている感じ。空想するスキマがない。心理も全部書かれてしまっているから、つらかったのかも。この短編は、1 骨董の花瓶、2 春本を翻訳する妻、3 英訳するときに出てきた男との関係の3つに分けて長編にしたら、読みやすかったかも。屋上に上がって深呼吸したら、最後の若い男女のキスシーンはいらなくなるのではないですか?
正津勉 なるほど。自分は、不安定な坂と中二階がうまいと思う。三層階にして、長編にした方がいいのか、悩ましいところだ。
ハラヒロ♂(73)心理描写の巧みさはさすがだと思いました。昭和30年当時の男尊女卑の世の中にも、このように自立した女性がずっといたのかもしれない。最後の若い男女のキスシーンは、自分はずっと続いた重苦しさが、こんな感じか、と気が抜けて良いと思った。この作品では、老いていく過程の懸念について書こうとしたのではないか。禿の問題は夫が妻に自分の問題を言わせている感じがした。ラストは、皺の寄った口で二人で笑っている。私も正津先生と同じく、伊勢物語に材をとっている感じがしました。
ミッチー♀(48)老いがテーマになっていると思いました。若いアシスタントが出てくるところで、この人も歯が無くて入れ歯。生々しくて息苦しい。ディープキスのことが出てきて、旦那さんとも体験はあるだろうが、セックスレスの当時の統計はないがどうなんだろう。円地文子の老いではない他のテーマの作品を読んでみたい。
セント♀(55)晩年に近い印象で読んでいたけれども、作者は当時51才、今と20年くらいギャップがある感じ。現代の友達の話を聞いているようでもあった。主人公は春本を書いてから人生が好転したのではないだろうか。仕事も、若い人とのやりとりも、積年の夫への思いも消化させてくれる。夫も、禿の薬を買ってきてくれるところは優しい。現代は様々な心構えができるが、当時は、老いをもっと絶望的に感じたのではないのかと思いました。
正津勉 この作品はある意味での戦後小説だと思います。戦争小説としての読み方もしてみてください。植民地では地位のあった銀行員が、持ち込んだ骨董品を外国人と組み、詐欺まがいの手口で転がしたり、アメリカ人から秘密裏に春本の翻訳を依頼されたり、学徒動員で抑留されて身体の不自由なアシスタント遠野も、皆、戦争を引き摺っている。傷ついている。救いは伊勢物語かもしれない。
バード♀(55)私の感想は、ここまで書くのか・・と。食べることも、性も、書くこともいっしょくただな、と思いました。古典の事はよくわからないけれど、夫婦の感じは今と同じくらいなのか、と。
ハラヒロ♂(73)戦争で傷ついている、というのはよくわかる。しかし、女性がこれほど自立したものを書けたというのは、当時それまではなかったのではないか。当時は世間体が悪いから、という一語で、不和も口外しない時代。今、離婚率が高くなっているのは、いいことなのかもしれない。坂を降りてくる音大生のテノールは魅力的な若い男性の象徴ですね。
ドラミ♀(69)そうですね。彼女の中にはまだ若さと欲望が残っている。50才ですから。
正津勉 主人公の年も同じで、私小説的でもある。
ジョイ♀(75)この作品ではないが、大病の話、子宮がんなどの体験話。描写も、書きすぎているかもしれないが、率直で共感できる短編がいくつもありました。
リポーターまとめ
参加者にも多く指摘されたが、昭和31年に発表の『妖』に現わされた夫婦の関係は、知力と経済力を持つ妻が自立して、別室に暮らす様子がまるで現代の夫婦のようである。夫の内実、そして自己の不実も欲望も暴くように書いていく。
しかし気づいてみると、坂に面した家の造りや家具類はまだ戦後の風情。古い映画を見ているようで、50代とおぼしき夫妻と出入りする30代遠野の三人が皆、義歯(総入れ歯)という描写に、戦後の高度成長直前の日本の、混乱した実情を感じる。歯のない現実からは死の認識と老いを自覚するだろうが、当時の老年の自覚年齢は若く、まだ体内にはエネルギーが残っている。坂の脇の自室で千賀子は夢想を続ける。高校在籍時に読んでいた当作だが、吐露を含む書きぶりの見事さに、50年を経て感銘を受けた。
*次回Bゼミ読書会は
2024年10月25日(金)18時30分より
テキスト:『雀の手帖』幸田文
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