『カタストロフ・マニア』(新潮文庫)島田雅彦 著
こんな時代だからこそ、愛が必要だよ。自分を必要としている人がいると思えば、人はそんなに死に急がないものだ。
今さら言うまでも無いが、現状わたし達は新型ウイルス により様々な影響を受けている。
医療崩壊が起きている地域の人たちは、万が一自分の身に何か起きてもすぐに診察が受けられない可能性がある。
来年、このパンデミックが終息している可能性は低く、このまま失業者が増え続ければ「自業自得」と高みの見物をしている訳にもいかない人は確実に増える。
だが、どれだけこの国に失業者が溢れようと無縁の潤沢な資産を持ち、優先的に医療を受けられる人がいるのもまたそうなのだろう。
彼らは果たして、パンデミックが起きた時その「特別な枠」に入れない者たちのために真摯に対応してくれるのだろうか。
枠外の人々は苦境をどう乗り越えれば良いのか。
そして、この混乱した世界を俯瞰しているのは一体誰なのか──。
という訳で、今日紹介したいのは島田雅彦さんによるSFパンデミック小説『カタストロフ・マニア』だ。
正直、今年はパンデミックものを読み過ぎてお腹がいっぱいの人も多いかもしれない。
ただ、この『カタストロフ・マニア』は、現状心身が疲れ果て、未来に希望を持てないわたしに「希望のない中での生き方」を教えてくれた。最悪この状態になっても、こうすれば何とかなる。ただし、今はそこまでじゃないだろ? と。
さて、物語は二〇三六年。未来の話だ。主人公のミロクは、ゲーマーで引きこもりの二六歳。彼は金の工面のために、治験のバイトをすることとなる。
バイト自体は非常に簡単なものであり、採血と食事制限、それから投薬を受けるのを条件に病院内で二十一日間過ごせば五十万貰えるという。この治験に参加したものは、ミロクも合わせて二十名。彼らはともに入院生活を送ることとなった。病院内はゲームもあり、書籍やDVDまである。何か労働をさせられる訳でもなく、好きなことをしていれば良いのだ。ミロクは当初、このバイトを楽観的に捉えていた。
しかし、一週間が経つ頃、まず採血の苦痛に耐えきれなくなってきた。原因は、一日に百二十CCも血を抜かれることによる頭痛と吐き気だ。もはや金のことは諦めて、リタイアしようかと考えたミロクは看護師である国枝という女性に相談する。
すると彼女は、ミロクにここへ留まるよう説得をしてきた。更には、たまたま居合わせた製薬会社の社員も国枝看護師に応戦する。
結局、採血はもうしないという約束で治験を続けることとなる。これで随分と楽になったミロクは、近くを散歩したり、報酬の使い道に思考をめぐらせる余裕も生まれる。
ある日、ミロクが散歩をしていると、私服姿の国枝看護師と出会う。人手がいらなくなったと言われ、彼女は帰宅するのだと言う。軽い立ち話をした後、国枝看護師はミロクに意味深な言葉を残していく。
「最後の一人になっても、頑張ってくださいね」
この言葉の意味を知る時、ミロクを待ち構えるのは絶望的に変わり果てた世界だった──。
本書の帯にも書かれている通り、この後日本を襲うのは新型ウイルス に、大停電、そして原発のメルトダウン。もう未曽有どころの騒ぎでは無い。
狂いそうな世界で一体どうやって生きていけば良いのか。
孤独には毒が含まれている。一人でいると、自分の毒に当たってしまうので、誰かに中和してもらわなければならない。誰かに自分を映す鏡になってもらわないと、自分がしていること全てが悪質な冗談になってしまう。
わたしの話で申し訳ないが、わたしには恋人もおらず、唯一会って話をしてくれるのは姉と、親友二人のみだ。どんな人生だよ。
まぁそれはさて置き。
だが、彼らは遠方に住んでおり、年末の緊急事態宣言により年内も新年も会うことは出来ないのが確定してしまった。つまり、丸一年、誰かと会って話をしていない。しかも、彼らには家族がおり、小さな子供が万が一感染するリスクを考えるとワクチンが完成するまでは会えないだろう。おい、あと何年だ──。
そうして一人でいると、わたしにとって必要な人はいるが、相手にとってわたしは必要な人間ではないなどと考える。すると、どうなるか。
今まで週末だけと決めていたアルコールが、一日置きになり、年末の希望が絶たれた現在は毎晩飲まないと眠ることすら出来ない。
食欲もない日が多く、体重も随分と減った。
あ! と、言っても、どすこいがちょっとぽっちゃりになった程度だ。脂肪の蓄えが激減することは無いと身をもって理解した。すげぇな人体!!
それにしても、今回のパンデミックで、人は一人では決して生きていけないと痛感させられた。
誰か、誰か、生きていくには誰かが必要だ──。
物語の主人公であるミロクは、苛烈な運命を前にしても行動することをやめない。そして、こんな中でも闘う心を決して失わない人々は彼以外に存在する。仲間と出会い、そして短波放送のジャンヌ・ダルクを知り、彼は未来へ進むために、今の自分の足で地面を踏む。
自分が行動を起こせば、仲間と出会える。仲間がいれば、自分だけでは絞り出せない知恵とも出会える。物流も電力もストップした世界で、ミロクは仲間と自給自足生活を始める。
同じ場所で同じ野菜を作り続けると、連作障害が出て、病気になる確率が高くなるので、マメ科、ナス科、アブラナ科など同じ科に属する野菜をまとめて、五つのブロックに配置し、輪作を行う。たとえば、連作障害が少ないサツマイモ、トウモロコシ、カボチャ、ニンジン、タマネギをA区画にまとめ…………。
衣食住、どれをとっても誰かの知識なしでは成り立たない。昨日まで役に立たないと思っていた知識が、活路となる場合もある。ただ、一人の人間の力には限界がある。
などと言うと、仲間と生きることの大切さを語った教訓的小説だと思うかもしれないが、この『カタストロフ・マニア』はそうではない。ただ、読んでいるうちに勝手に「これは教訓にしたい」と思う言葉が多く詰まっている。苦しい時に生き抜く知恵を授けてくれる、精神的迷子のための地図に似ていると思う。
因みに、本書は二〇一七年に刊行されたものだ。もちろん誰もが知っている通り、当時コロナウイルスは蔓延していない。にも関わらず、現在苦境に立たされているわたしが求めているヒントがぎっしり入っているのだから驚きだ。
さて、今年も残りあと僅か。苦しい状況は変わらない。ただ、ミロクは前に進んでいる。どうだろう、彼の軌跡をちらりと覗いてみるのは。
未来は分からない、前に進まなければ──。