源氏物語を読みたい80代母のために 17
えらく間が開いてしまいましたが、特に何事もなく母も私も元気です。タイトル画像は、昔々の母の作品。「9」の画像の右に見えてるやつです。光の加減でだいぶ違いますね。
さて「ひかるのきみ」も先だって「手習」が終了し、ついについに最後の「夢浮橋」。
あああー寂しいーーー。私、これ終わったら何して生きて行こう。
などと本気で思うほどロスが怖い。いや別にきっとフツーに日常を過すんでしょうけどね。想像すると辛すぎて。紫式部さんはどうだったんだろうなー。でも、始めからここで完結!って決めてたわけでもなく、書いてみて
「あ、ここで終わりでいいんじゃ?ハイ終わり」
みたいな感じだった、と何かで読んだ。やり切った感はあったのかな。私もそこは是非あやかりたい。
で、母ですが、あのダラダラでグダグダな宇治十帖をゆるゆると、ですがしっかり読んでます。なんせ「東屋」の手前まで来ての感想がコレ。
「なんやの、この薫って」
なんやの。
なんやの。
わかる……わかりみが深すぎる。
コレね、福井弁のニュアンスをお伝えできないのが悔しい。この「なんやの」には色んな意味が詰まってるんですよ。
何がしたいん?何やってるん?
という呆れた感と、
ああーもう!イライラするっ!ピシっとせいピシっとっ!
とキレたくなる気持ちとのあわいといいますか、微妙なラインの距離感。
これはひとえに「薫」というキャラクターの妙ですよ。
コイツ、きっとまた次も何かやらかすに違いない。良さげな感じで進んでるけど、どっかでうまくいかなくなるんだな?そうだな?
などと、読者を掴んで離さない。事実、期待に違わぬ展開があっちへこっちへと意外な方向に突っ走り、あれよあれよと引っ張りまわされる。もう止まらないめくるめく物語世界。こんな手練手管、いったいいつどこで会得したア作者!って叫びたくなるほど「薫」のキャラ建てが絶妙。
ぶっちゃけ薫はあんまり好きじゃなかった。ヒカルと比べると何もかもがイマイチだし(そもそも血繋がってないし)、ウジウジしてて暗いしうっとおしいやっちゃな、くらいしか思ってなかった(ヒドイ)。だから、薫ファンが案外多いのが何故なのかわかんなかった。
でも今ならわかる。
薫は物凄ーく人間臭い。やることなすこと全て注目を浴びるいいところのボンボンでお金持ち、容姿端麗・頭脳明晰かつ出世頭の高級官僚、モテてモテて仕方ないのに、恋愛はからっきしうまくいかない。悪気は全然ない、むしろ親切で誠実で、相手の気持ちをすごく尊重している……つもりでいる。だが実際には相手が見えてない、それどころか自分が真に望んでいることすらまるでわかってない。なのですべてが空回り、または裏目に出るばかり―――このあまりの要領の悪さ、ドン臭さ故に目が離せなくなり、しまいには愛おしくまで見えて来るのだ。
物語的には、こういう存在はすごくおいしい。盛り上がること間違いなしだもの。紫式部はきっと楽しくイケズに薫を動かしてたと思う。何も知らない田舎娘で、何でも母の言う通りに過してきた浮舟の成長には、このグダグダ薫の存在が不可欠だったから。
ある意味、宇治十帖の主役は最後に取って替わるのかもしれない。というより、そうなのだろう。と、予想をしつつ、これから「夢浮橋」に突入しようと思う。
あーでもでも、寂しいよう(これからずっとそれを言う予定)。
「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。