源氏物語を読みたい80代母のために 26(源氏物語アカデミーレポ⑦)
二日目のトリはこちら。
「源氏物語と天神信仰」藤原克己氏
予習した本はコレなんですけど
「菅原道真 詩人の運命」藤原克己:
予習用として読んだ本の中でダントツ!に面白かったんですよ。私自身、菅原道真という人に関しては漫画「応天の門」を読んでるくらいで、
※在原業平と菅原道真がタッグを組み難問を解決する平安クライムサスペンス。面白いよ!
「超有能な官人だったけど左遷先で失意のうちに世を去り、後に祟り神として畏れられ、学問の神として落ち着いた人」
という雑な認識しか無かったがために新鮮だったというのもあるけれど、何よりこの語り口といいますか、何ともいえない文体の流れとリズムに引きこまれた感がある。
多くの漢詩文に現代語訳を併記してくださっているのだが、それをただ眺めているだけでも、限られた字数と並びと決まりごとにガチガチに縛られているにも関わらず(いやだからこそか?)、含む情報量が半端なく多い。実に多彩な、凝縮され研ぎ澄まされた表現。後に和歌にもその手法が適用されたというのも頷ける。
光源氏が息子の夕霧を学生(がくしょう)にした際、心配する大宮に対し
「いずれ政治に携わる身としては『大和心』(実務能力)だけではダメ、定見や節操を持たねばならない、それは漢文学を学ぶことではじめて培われる」
と諭す場面からもわかるように、源氏物語は漢文学と深く交錯する物語である、と。
ああーもっと早く読めばよかった。凄い人じゃん菅原道真。そりゃ天神さまだもの、当然よね。
もちろん講義の方も予想以上に充実した、面白い内容でした。例によってこの時間じゃ絶対無理な情報量で、到底全部は追い切れていないけれども、無理くりまとめてみた。
〇紫式部の生きた時代は道真の死から百年近く後だが、源氏物語の作中には道真の遺したエピソードを元にしたであろう場面がそこかしこに窺える。
〇「須磨」で、京を離れてから初めての十五夜を眺める光源氏が朱雀帝とのひとときを懐かしみ、
「恩賜の御衣は今ここにあり」と誦しつつ入りたまひぬ。御衣はまことに身放たず、かたはらに置きたまへり。
という場面がある。これは道真が大宰府での詫び住まい中に書かれた漢詩が元になっていて、
恩賜御衣今在此
とそのままズバリである。このくだりは「大鏡」や「北野天神縁起」にも見られる。
さらに冬の夜、やはり月影を見つつ、
「ただこれ西に行くなり」
とひとりごちる光源氏。
これもまた道真の「問秋月」から、
唯是西行不左遷
を引いている。光源氏もあくまで自主的な謹慎の形なので「左遷にあらず」というのも同じ思いであったろう。これも「大鏡」で引用されている。
とどのつまり光源氏の須磨行きは、道真の大宰府行きを模している、ということなのだ。
ここで藤原氏が仰ったことがかなり胸熱。
「普通は、源氏物語に書かれていることが何から引かれているか、何に影響を受けているかを考えますが、私としては逆に、
天神信仰の形成に『源氏物語』『大鏡』が関わっているのではないか?
という論を考えてみたい」
道真の死後三十年以上経ってから、清涼殿に落雷して政敵が死亡するわ、疫病や日照りが続くわ、皇子が相次いで病死するわと天変地異や不幸が続き、これはもしや祟りでは……となったのが天神信仰の始まりらしいが、昔からあった「政治的な陰謀により亡くなった人が怨霊と化す」という「御霊信仰」に、道真自身の個性や人となりが合体して「濡れ衣を晴らす」「正義を守る」、ひいては「学問を司る」神である、という方向に発展した―――という。
ちなみに源氏物語にはこの「御霊」的な「天神信仰」は存在しない。ただ「人格神」としての菅原道真の物語がその中にある。
いやー痺れますね。穴だらけの雑なまとめですが、これだけでも中々に凄みを感じる。
国文学科にいたくせに漢文は殆ど勉強してなかった愚かな私ですが、真面目にいちからやってみようかしらなどと思ったりしました。道真のことをもっと知りたい。
余談ですが、光源氏が須磨で嵐に遭った夜、亡き桐壺院が夢枕に立って語りかけた場面:
「われは、位にありし時、あやまつことなかりしかど、おのづから犯しありければ、その罪を終ふるほど暇なくて、この世をかへりみざりつれど、(そなたが)いみじき愁へに沈むを見るに、堪へがたくて、海に入り、渚にのぼり、いたく困じにたれど、かかるついでに内裏に奏すべきことあるによりなむ、急ぎのぼりぬる」
これを藤原氏が音読されたんですが、お声も読み方も何とも耳に快くお上手で、とてもよかった!「光る君へ」でもしそのシーンが出るなら、お声だけでも参加していただけないかしら……などとまたあらぬ妄想に耽ったのでした。
そんなこんなで長く濃い二日目の日程が終了。
母と共に実家に戻り、姪の赤子を愛でつつ(このご時世なので抱っこは自粛)、夕飯の豪華お弁当をぺろりと平らげて、昨日と同じく早々に眠りについたのでした。
<つづく>
「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。