モーム短編集(上)の「エドワード・バーナードの転落」というお話がとても読み応えがあったので感想をシェアです。モームの短編集は小1時間ほどあれば1話読み進めることができて、かつ爽快なのでとてもお勧めです。
エドワード・バーナードの転落
本作のタイトルとなっているエドワード・バーナードはシカゴからタヒチに移住して2年で「シカゴであくせく働く上流階級」から「タヒチの小売店で下働きする労働階級」になっていました。シカゴの友人のベイトマンは、バーナードの変貌を見て失望します。このエドワード・バーナードの人生を転落と捉えるのか、充実と捉えるのかは、読者に完全に委ねられています。
何のための読書?
こんなふうに、楽しみのための読書をタヒチで見出してみたいです。タヒチで生活するためには、捨てる決意をする必要があります。タヒチで生活しよう!と決意した時に、意思決定を邪魔するのは「そもそも生計が立つのか不安」「このまま働けば得られるだろう富を放棄する不安」でしょうか。これらの理由から、「会社に急ぎ、夜まで必死に働き、急いで帰宅して夕食をとり、劇場に行く」人生を歩んでいるわけですが、確かにこのあくせくした人生が生まれてきた理由ではないように思えます。
人生の成功と失敗を分けるものとは?
舞台となっているタヒチは、「月と六ペンス」でも登場しており、モームはタヒチの生活が好きなのだな〜となんとなく実感しました。そういう意味では、若くて忙しい時にこそタヒチの珊瑚礁を見てみたい。そう思いました。もしかしたら魂を手に入れることができるかもしれません。また、このような美しい島を開発したりせず、古き良きまま残すというのも重要なのだと実感しました。人類の憩いの場所、タヒチ。日本から直行便で11時間と思ったよりも近いようです。
富を追求したその先に喜びはあるのか?
この文章がエンディングとなります。現代風に言えば、「吉祥寺に大きな邸宅を建てて芸能人を招いて毎週パーティをしている」ようなイメージでしょうか。タヒチで魂を見つけたエドワードとは対照的に、シカゴという大都会で成功することを夢見る2人。エドワードは、ココナツの殻から大昔からの土地のやり方を用いて中身を取り出すのに対し、ベイトマンは何百万の車を量産しようと目論みます。
モームは、都会であくせく働く人々を推奨していない様子が文章から伝わってきます。上の文章では、ベイトマンやイザベルは他人に成功を誇示する形での幸福像を描いていますが、それらは本当に自分たちが心からしたいと思っていることなのか分かりません。
あと、角ぶちメガネが富の象徴だったことにちょっと突っ込んでしまいました。現代では角ぶちメガネ結構多いよ〜とモームさんに言いたい。現代では富の象徴となるアクセサリは何になるのでしょうか。
なお、「月と六ペンス」という作品も以前読んでとても良いと思ったので、まだ読まれていない方はぜひお読みになってみると良いかもしれません。話の筋的に今回のエドワード・バーナードの転落と少し似ているところが出てきます。
おしまい。