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#022 「エドワード・バーナードの転落」モーム

モーム短編集(上)の「エドワード・バーナードの転落」というお話がとても読み応えがあったので感想をシェアです。モームの短編集は小1時間ほどあれば1話読み進めることができて、かつ爽快なのでとてもお勧めです。

サマセット・モーム

ウィリアム・サマセット・モーム(William Somerset Maugham, CH1874年1月25日 - 1965年12月16日)は、イギリス小説家劇作家

フランスパリ生まれ。10歳で孤児となり、イギリスに渡る。医師になり第一次大戦では軍医諜報部員として従軍した。1919年に『月と六ペンス』で注目され、人気作家となった。平明な文体と物語り展開の妙で、最良の意味での通俗作家として名を成した。作品に『人間の絆』『お菓子とビール』や短編「雨」「赤毛」、戯曲「おえら方」など。ロシア革命時は、秘密情報部に所属した情報工作員であった[1]同性愛者としても知られている[2]

wikipedia

エドワード・バーナードの転落


本作のタイトルとなっているエドワード・バーナードはシカゴからタヒチに移住して2年で「シカゴであくせく働く上流階級」から「タヒチの小売店で下働きする労働階級」になっていました。シカゴの友人のベイトマンは、バーナードの変貌を見て失望します。このエドワード・バーナードの人生を転落と捉えるのか、充実と捉えるのかは、読者に完全に委ねられています。


何のための読書?


(ベイトマン)「君は以前だって読書していたよ」
(エドワード)「試験のための読書だった。人と会話する時の話題のための読書だった。知識のための読書だった。それが、ここでは楽しみのために読書するようになった。話すことも学んだ。会話が人生で最大の楽しみの一つだって、君知っている?でもね、会話を楽しむには余暇がいる。以前はいつも忙しすぎた。すると次第に、大切に思えていた人生がつまらない、下卑たるものに見えだした。あくせく動き回り懸命に働いて、一体何になるというのだろう? 今ではシカゴを思うと、暗い灰色の都会が目に浮かぶよ。全て石で出来ていて、まるで牢獄だな。絶え間ない騒音も聞こえてくる。頑張って活躍して、結局何が得られるというのだ。シカゴで最善の人生を送れるのだろうか?会社に急ぎ、夜まで必死に働き、急いで帰宅して夕食をとり、劇場に行くーーそれが人がこの世に生まれてきた目標なのか? 僕もそのように若い時期を過ごさなねばならないのか? 若さなんて、ごく短い間しか続かないのだ。年をとってから、どういう希望があるのだろうか? 朝家から会社まで急ぎ、夜まで働き、また帰宅して、食事して劇場にゆくーーそれしかないじゃないか! まあそれで財産を築けるのなら、それだけの価値があるのかもしれないね。僕には価値はないけれど、人さまざまだな。だが、もし財産を築けないなら、あくせくすることに価値があるだろうか? とにかく、僕は自分の一生をもっと価値あるものにしたいのだ。」

エドワード, 「エドワード・バーナードの転落」より

こんなふうに、楽しみのための読書をタヒチで見出してみたいです。タヒチで生活するためには、捨てる決意をする必要があります。タヒチで生活しよう!と決意した時に、意思決定を邪魔するのは「そもそも生計が立つのか不安」「このまま働けば得られるだろう富を放棄する不安」でしょうか。これらの理由から、「会社に急ぎ、夜まで必死に働き、急いで帰宅して夕食をとり、劇場に行く」人生を歩んでいるわけですが、確かにこのあくせくした人生が生まれてきた理由ではないように思えます。


人生の成功と失敗を分けるものとは?


「そう悲しむなよ」エドワードが言った。「僕は失敗したのではない。成功したのだ。君にはわからないようだが、僕は今とても元気よく人生を歩んでいこうとしてるし、未来は充実していて有意義なものになると確信しているのだ。君はイザベルと結婚してから、僕のことを思い出してくれ。僕は珊瑚島に自分の手で家を建ててココナツの世話をしながらそこで暮らすよ。殻から中身を取り出すやり方は大昔からの土地のやり方を用いるよ。庭にあらゆる種類の植物を植え、漁もする。忙しくしているだけの仕事はあるだろうが、仕事に追われて馬鹿になるほどではないだろう。書物とエヴァと生まれてくるだろう子供があり、さらに、無限の顔を持つ海と空、さわやかな夜明けと美しい日没、芳醇な夜もある。ついこの間まで荒地だったところを庭に変えることもあろう。何かを作り出したことになる。歳月はそれと気付かぬうちに過ぎ去り、老人になった時、過去を振り返って幸福で素朴で平和な一生だったと思えるだろう。僕なりに美しい人生を送れたことになる。ねえ君、満足を味わえたというのは、それほど些細なことかい?人は、全世界を手に入れても魂を失ったら、何にもならないじゃないか。僕は自分の魂を手に入れたと思う

舞台となっているタヒチは、「月と六ペンス」でも登場しており、モームはタヒチの生活が好きなのだな〜となんとなく実感しました。そういう意味では、若くて忙しい時にこそタヒチの珊瑚礁を見てみたい。そう思いました。もしかしたら魂を手に入れることができるかもしれません。また、このような美しい島を開発したりせず、古き良きまま残すというのも重要なのだと実感しました。人類の憩いの場所、タヒチ。日本から直行便で11時間と思ったよりも近いようです。

タヒチの基本情報


富を追求したその先に喜びはあるのか?


彼女を抱きしめながら、ベイトマンはハンター自動車運輸会社の工場が発展してゆき、ついに百エーカーにも達し、何百万の車を生産する様子が頭に浮かんだ。自分の趣味で集める絵画のコレクションがニューヨークのどのコレクターにも負けないのを夢見た。自分は角ぶちのメガネをかけようと思った。一方イザベルも彼に心地よく抱かれながら幸福の吐息をもらした。アンティークの家具で飾った邸や、彼女が催すコンサートや、洗練された一流人のくるダンス付茶会や晩餐会のことを頭に描いていた。そうだわ、ベイトマンには角ぶちのメガネをかけさせよう、と考えた。

「可哀想なエドワード」彼女は溜息をついた。

この文章がエンディングとなります。現代風に言えば、「吉祥寺に大きな邸宅を建てて芸能人を招いて毎週パーティをしている」ようなイメージでしょうか。タヒチで魂を見つけたエドワードとは対照的に、シカゴという大都会で成功することを夢見る2人。エドワードは、ココナツの殻から大昔からの土地のやり方を用いて中身を取り出すのに対し、ベイトマンは何百万の車を量産しようと目論みます。

モームは、都会であくせく働く人々を推奨していない様子が文章から伝わってきます。上の文章では、ベイトマンやイザベルは他人に成功を誇示する形での幸福像を描いていますが、それらは本当に自分たちが心からしたいと思っていることなのか分かりません。

あと、角ぶちメガネが富の象徴だったことにちょっと突っ込んでしまいました。現代では角ぶちメガネ結構多いよ〜とモームさんに言いたい。現代では富の象徴となるアクセサリは何になるのでしょうか。




なお、「月と六ペンス」という作品も以前読んでとても良いと思ったので、まだ読まれていない方はぜひお読みになってみると良いかもしれません。話の筋的に今回のエドワード・バーナードの転落と少し似ているところが出てきます。

おしまい。


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