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グーグル八分とJRに観る/破滅なき消滅の方程式

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市場経済にあって民間企業が採算の合わない事業を切り捨てるのは当然の選択だ。
したがってGoogle八分やJRの不採算路線削減に対して、企業側だけに文句をつけるのはお門違いである。
確かにGoogle八分や不採算路線削減にて、死命に関わる不利益を被る人も多い。
しかしそれはGoogleやJRの責任ではなく、
死命に関わる重要なインフラを民営化してしまった国民国家にこそある。

すなわち、国家の頭に立っている国民にこそ責があるのだ。


JRの不採算路線削減

国鉄が民営化されJRに看板を付け替えたのが1980年代。
以来40年にわたって、不採算路線の損失を採算路線の利益にて補ってやりくりしてきた。
だが昨今の地方過疎化と大都市への一点集中同時進行によって、不採算路線の損失が補填できない水準にまで膨らんでいる。
早晩において不採算路線を相応に削減しなければJRの経営は立ち行かなくなるだろう。

これまでJRが不採算路線を大々的に削減しなかったのには二つの理由がある。
なぜ、JRは不採算路線を大々的に削減しなかったのか?

一つ目の理由は民営化されたとはいえ公共インフラを担っている企業としての使命感。
二つ目の理由は「不採算路線削減は可視化されてしまう」ためだ。



JR/可視化されるプラットフォーム事業

JRは人流と物流を担う。
人流と物流は目に見える事象だ。
だから、JRが不採算路線を切り捨てるとそれがすかさず可視化されてしまう。
人の流れが途絶え、物の流れが滞り、その一帯の世の中と経済が動かなくなる。
これは企業イメージを著しく毀損する。
ただでさえ、不採算路線削減によってその一帯の人々から大いなる怨嗟を持たれてしまうのに、その一帯以外の人々にもすこぶる悪いイメージを持たれてしまう。
イメージが重要なサービス業にあってこれは致命的だ。
だから、JRはこれまで大々的な不採算路線削減に踏み切らなかったのである。



Google/可視化されないプラットフォーム事業

Googleは「情報流」を担う。
情報流は目に見えない事象だ。
だから、Googleが不採算な情報流を切り捨ててもそれが一般には見えずらい。
情報の流れが途絶えても、誰もそれに気付けない。
なぜなら、その情報の流れが途絶えたという情報すらも流れなくなるからだ。
先ほどのJRの例であれば「JRが不採算路線を削減した」という情報が人の目から入って口から抜け他人の耳へと伝わっていくのだが…。
Googleの場合には情報そのものをビジネスの主眼においているため、「Googleが不採算事業を削減した」というソモソモ情報が人の目に入らない。

だからGoogleの不採算事業削減は可視化されない。

不採算事業を削減してもそれが人目につかないということは、企業イメージの低下は限定的となる。
イメージが重要なサービス業において、不採算事業を削減してもそれを消費者に気付かれない仕組みは大きなアドバンテージだ。

したがって、Googleは大々的に不採算事業削減を行えるのである。

    サービス  可視化の有無
JR        物流・人流    有
グーグル 情報流     無

「可視化の有無」の差異によって、
JRは不採算事業を切り捨てづらく、
Googleは不採算事業を切り捨てやすくなっている。

JRとGoogleのサービス 可視化の有無 そしてその帰着としての不採算事業の扱いかた




Google八分の正体

Googleの不採算部門削減は「情報流の途絶」という形となる。
ニーズの少ない情報をデータベースなどに置いておいても、保管コストが嵩むだけで売り上げに寄与しない。
つまりGoogleにとってその情報は持っていると不利益になる。
だから民間企業であるGoogleはその情報をビジネスプラットフォームから切り捨てる。
結果「Google八分」と言われる現象が起こる。

検索エンジンに自分の店の名前を打ち込んでもヒットしない。
オンラインにおいて自分の店は存在しないことになっている。
目下のIT社会においてオンラインで存在しないことは即ち死を意味する…
これがGoogle八分を消費者から見た場合の事象認識だ。

だがこれをGoogle側から眺めれば、先述したように「不採算部門削減」の七文字で片付けられてしまう事象なのだ。



市場経済の掟  プラマイ不採算の切り捨て

民間企業は利益を得ること、利益を拡大することを職分とする。
民間企業どうしが利益を最大化すべく競争することによって、サービス品質が向上し価格が引き下がり、消費者はより良いサービスをより安く利用できるようになっていく。
結果、世の中がより良いものとなっていく。
これが市場経済の根幹をなす競争の原理だ。

したがって、この過程において利益を拡大するため不採算部門を切り捨てることは民間企業にとって当然の選択だと言える。
だがJRの場合には、不採算路線切り捨てによって可視化されるイメージ低下が、不採算路線切り捨てによる業績改善よりも中長期で重たいと判断したからこそ不採算路線を切り捨てなかった。
Googleの場合には、不採算部門切り捨ては可視化されずイメージ低下も極小であるため、不採算部門切り捨てによる業績改善効果を等身大で残せるからこそ、不採算部門を切り捨てた。

JR        
不採算削減による改善<イメージ低下
よって、不採算削減をしない

Google
不採算削減による改善>イメージ低下
よって、不採算削減をする

JRとGoogle  不採算削減とイメージ低下の不等号 そしてそれにより導かれる合理的な洗濯


JRもGoogleも民間企業として競争の原理における合理的な判断の末に、異なる選択をなしているのだ。



国家が切り捨ててはならないもの

だが、情報流を断ち切られるというのは人々にとって間違いなく痛手だ。

世界全体の情報流におけるオンライン情報の割合が9割を軽く超える昨今にあって、オンラインの中で自分が存在しなくなるのは命を失うことに限りなく近接している。
とくに企業活動をしている組織である場合、外部から認識されなくなることは「破滅なき消滅」を意味する。

だが、大手IT民間企業側には「経営上合理的な判断の末の不採算部門切り捨て」という印籠がある。
つまり「破滅なき消滅」は現状において誰の上にも降りかかる合法的な火の粉なのだ。

いまや、
IT企業の匙加減一つで誰もが「破滅なき消滅」に至る。

なぜこんなことになったのだろう?

それは国民国家が担うべきものを民間に委ねてしまったからだ。

物流・人流、
この二つは軍事安全保障上の観点から民間企業に委ねるのは甚だ危険である。
物流・人流を民営化しはじめた1980年代。
西側の先進国は軍事安全保障を度外視して企業利益を優先しはじめた。
いわゆるグルーバリズムに基づく判断を下した。
冷戦たけなわの1980年代。
自由経済を金科玉条に据える西側先進国は、
軍事安全保障を人身御供に据えて自由経済にカツを入れねばならないほど「火の車」だったということだ。

これだけの劇薬を呑んで、薄氷の上にて西側・市場経済陣営は冷戦で勝ち名乗りをあげる。
だがしかし、企業利益増加のための人身御供は物流・人流だけで終わらなかった。

冷戦終結の余韻も冷めやらぬ1995年。
インターネットの汎用化に端を発するIT革命が勃発。
物流・人流以上に民間企業に委ねてはならないものが民営化された。
それは人間活動の中で最も大切なもの。



「情報」。



人の間とは情報である

世界と人間は情報で出来ている。

存在とはすなわち情報である。
言葉とはすなわち情報である。
イメージとはすなわち情報である。
感情とはすなわち情報である。
いま読者の目の前にあるのは見事なまでにくまなく情報であろう。

いままさに筆者と読者の間にあるものはただひたすらに情報である。

すなわち、人と人の間にあるものは情報。
つまり「人の間」とは「情報そのもの」なのだ。

人間とは情報なのである。

だからこそ、
情報は人間活動の中で最も重要なのだ。



人間民営化というパンドラの箱

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