読書記録「ムーミンパパ海へいく」
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
今回読んだのは、トーベ・ヤンソン 小野寺百合子訳「ムーミンパパ海へいく」講談社 (1980) です!
・あらすじ
ムーミン谷は今日も平和である。ムーミンママは台所で料理をし、ムーミントロールは時折物思いに耽り、ちびのミイは一人どこかで遊んでいます。
そんな日々に対して、ちょっと物足りなさを感じたのがムーミンパパです。自分は家長なのに、誰一人自分のことを頼ってくれないのではないかと思いました。
思い立ったムーミンパパは、かねてから夢に見ていた「灯台のある小さな島」に行くことを決めたのです。
そこで灯台守になり、海に関する知識を披露すれば、ムーミンママやムーミントロールもパパに頼るようになるだろうって。
ムーミン一家が訪れたのは、灯台のある岩ばかりの島。岬に住まう風変わりな漁師と昆虫以外、そこに住んでいるものはいませんでした。
早速ムーミンパパは、灯台に灯りを点けようとするも、困ったことにうんともすんとも言いません。
それに海は時にやさしく、ある時は厳しく接したため、ムーミンパパの思い通りにはいきませんでした。
もっとも、海は誰にとっても思い通りに行かないもですが。
去年の年末「冬っぽい」作品として紐解いた「ムーミン谷の冬」に引き続き、「夏といえば…」という感覚で紐解いた本。
埼玉県は「海なし県」に住まう人間にとって、夏といえば「海に行く」のが鉄板と思われる。
川口一家は、夏になれば野島崎という千葉県南房総市の最南端に訪れていた。
まだ小さい頃は、知り合いのホテルにロングステイしていたこともあったらしいが、正直その時の記憶はあまりない。
ただ海は好きである。流石に泳ぎに行くことはないけれども、寄せては返す波を見に行くだけでも楽しいものである。
しかし、海は優しい面を持っている反面、我々に厳しく接することもある。
ムーミンパパが海の深さや波の高さを測定し、防波堤のために岩を落としたとしても、波が全て洗い流してしまう。魚を取ろうと一晩中網を張っていても、取れるのは海藻のみ。
海に関する知識があったとしても、自然はそんな思惑などつゆ知らず、まるで意思を持っているかのようでもある。
海という自然を思い通りにさせるなど、陸に住まう私たちにできることはそんなにない。
できることは、相手(海)のことをどう思うかである。
人間関係だってそう。人を思い通りに動かすことはできなくても、相手に対して好きや嫌いかってのは、こちらが選ぶことができる。
島での生活や海を通じて、ムーミンパパやムーミントロールがそれに気づく。そういう物語なのかもしれないね。
一つだけミスったのは、この物語の1行目が、”八月末のある日”だったこと。
その後も秋の南西風が出てくるなど、「夏終わっとるやないかい」と一人ツッコむのであった。それではまた次回!
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