1冊の本に、記憶が宿る。
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
本棚を見ていると、本の内容ではなく、その本を紐解いたときの思い出や、手に取った時の記憶が思い起こされることがある。
本はどこでも読める。自宅だろうと、カフェだろうと。往復の通勤電車でも、それこそ旅のお供に忍ばせることもしばしば。
そのためか、蔵書が捨てられない理由は、読み返す楽しみの他にも、そのような思い出や記憶が宿っているからだと考える。
例えば、目についた本で言うと……
瀬戸内寂聴「私小説」
大学卒業前、鼻の手術を受ける際に、入院生活のお供に持参した本。
手術後、病室で点滴状態でうつらうつらしている中、手持ち無沙汰の母が紐解くのを見かける。冒頭に姉が亡くなるシーンがあったためすぐに元の場所に戻していた。
レイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」
池袋の「東京読書交換会」にて頂戴した本で、箱根湯本に湯治(もとい1泊2日の一人旅)に出掛けた際に持って行った。
ゲストハウスのロビーで暖房に当たりながら読み耽る。オーナーさんが話好きで、読書中にも何度も話し掛けられたのはいい思い出。
森見登美彦「シャーロック・ホームズの凱旋」
夏の京都一人旅のお供に持参したいくつかの本のうちの1冊。
京都駅から天橋立へ向かう電車内で読み始め、東京へ帰る新幹線にて読み終えた。各章に旅の記念のスタンプを押している。
景山民夫「ホワイトハウス」
会社の先輩が転職するに当たり、一人ひとりにお礼の品を用意していた。
他の方がアイマスクやお菓子が渡される中、「川口さんはホラー小説は苦手と伺ったため、あまり怖くなくてお気に入りの作家の作品を」と本著を頂いた。
村上春樹「海辺のカフカ」
上野公園は不忍通りにて行われた「池のほとりの本のみち」にて、持ち寄り本棚企画で頂戴した文庫本2冊。
知り合いから、「村上春樹の作品読んでいる癖に、海辺のカフカを未読なのはハルキストを名乗れないよ」と謎の指摘をされた。
ちなみに、自分はハルキストだと名乗ったこともなければ、そこまで熱心な読者だとも思っていない。
太宰治「人間失格」
中学時代に純文学が妙にハマっていた時期があって、その時に購入した一冊。
だけどその時は、この本の面白さがいまいち理解することができず、かれこれ10年以上本棚の肥やしになっていた。
2年前に改めて読み返した時には、ようやくこの作品の内容と面白さを堪能できた。
このように、書物にはそれを読んでいた時の当事者の記憶が宿っている。
極論を言えば、図書館で同じ本を手にとっても、「そう言えばこの本を手に取ったのは、あのときだったな」と思い起こすこともあるから、蔵書の必要はないかもしれない。
だけど、その日、その時に紐解いた本と、同じものが今も残っているのだと思うと、やっぱり蔵書はやめられないのです。
断捨離がなかなか進まない自称読書家なり。それではまた次回!