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読書記録「むらさきのスカートの女」
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
今回読んだのは、今村夏子さんの「むらさきのスカートの女」朝日新聞出版 (2019) です!
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・あらすじ
私が住んでいる近所には「むらさきのスカートの女」と呼ばれる人がいる。いつもむらさき色のスカートを穿いているから、地域の人からもそのように認識されている。
週に一度くらいパン屋さんでクリームパンを買い、午後3時頃、公園にある「むらさきのスカートの女専用」ベンチでゆっくりと食べる。最近子供の間で彼女をタッチする遊びが流行っている。
私は彼女と仲良くなりたいと思っている。だがいきなり友だちになってくれませんかと頼むのもおかしい。でも同じ会社の従業員であれば、話しかけやすくなるだろう。
むらさきのスカートの女は働いていないように見えるが、時期によって働いていたり、いなかったりである。
去年の9月は働き、10月は働いていない。11月と12月は前半だけ働き、1月10日から3月まで働く。4月は働いてない。5月はGW以外働き、6、7月も働く。8月は後半だけ働き、9月は働いてない。10月は働いたり働かなかったりで、現在に至る。
私と同じ職場になるために毎回求人情報誌を専用シートに置いている。大きな丸をつけて置いているにも関わらず、彼女は肉まん工場や夜勤の棚卸作業、電話オペレーターやカフェ店員などバラバラな所ばかり面接に行っている。
流石に無職期間も過去最高となり焦っていることだろう。でも彼女が住むアパートの201号室に督促状を突きつけられた形跡もないし、ガスメーターも動いている。夜は電気もつくから問題ないのだろう。
かく言う私は一体誰かって? さしずめ「黄色いカーディガンの女」と言ったところだが、残念ながら今までそのように呼ばれたことはない。
それはさておき、ようやく同じ会社で働くことになったむらさきのスカート女。果たして2人は友達になることはできるのか。
だいぶ前の読書会にて、今村さんの「星の子」を勧められたのきっかけに、たまたま神保町の本棚に並んでいたのを紐解いた次第。
この本を読んで終始思っていたことは一言に尽きる。お前誰やねん。
この作品はむらさきのスカートの女を"黄色いカーディガンの女"からの視点で描かれる。我々が読めるのは、あくまでもその主観としてむらさきのスカートの女である。
だが物語を語る主観的な人物がそもそもおかしい。あらすじで書きすぎたところがあるが、いくら友達になりたいとは言え、なぜそこまで赤の他人のことを把握しているのかと。
その視点は、むらさきのスカートの女のためではなく、常に自分のためである。
黄色いカーディガンの女が何をしているかを言わないため、読んでいる途中にん?と感じるようになる。
そして最初に感じた違和が、徐々におかしな方向に繋がっていく。ミステリーとはまた異なる、結末がどうなるのか気になり続けた作品であった。
ちなみに、当然違う視点から見たら、また異なる"むらさきのスカートの女"像が捉えられるだろう。
例えば、私から見たら嫌な人であっても、他の人や同僚から見たら良い人だってことは往々にしてよくあること。
人間はいかなるときも、自分の視点でしか物事を見れない。価値観に正解・不正解はないが、自分の主観がおかしいことに、なかなか気づくことができない。
おかしいと言われるときは、必ず周りの視点が存在する。会社で最低限のビジネスマナーを学ぶように。集団行動の中で人付き合いを体得していくように。
だがそれさえ指摘する者がいなかったら、一体どうなるのだろうか。
もちろん、多数は意見が常に正しいとは限らないけれども、この作品のように、何かよからぬ方向へ進んでしまうのかもしれない。
なお、この作品を読んだあと、つい表紙と同じ柄のスカートを履いている女性に目が行ってしまう。もしや、あのむらさきのスカートの女なのではと。それではまた次回!
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