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読書記録「言葉の獣」
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
今回読んだのは、鯨庭さんの「言葉の獣」リイド社 (2022) です!
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・あらすじ
人の発した言葉を”獣”として見ることで、その言葉の「真意」を捉えることができる共感覚の持ち主・東雲。言葉が好きで、詩に強い関心を持ちながらも、そのことに向き合いきれていないクラスメイト・やっけん。
二人はふとしたきっかけから、東雲の持つある目的のために協力し合うことに…。
仕事終わりに寄ったブックオフにて、タイトルと表紙のイラストに惹かれてそのままお買い上げした漫画。
言葉というものは、常に辞書通りの言葉の意味で使われるわけではない。
感情を持った人間が言葉を使う以上、言葉には何かしら意味や真意が付与されている。
人は気持ちをより正しく伝えるために言葉を使う。でもそれは、無意識のうちに刷り込まれてきた言葉に、意味を押し込めているだけに過ぎないんだよ。
私達は相手の気持ちを全て理解することができないように、相手の言葉を完璧に受け取ることもできない。
全てを”言葉通り”に受け取ることができるなら、コミュニケーションはどれだけ簡単だろうか。
例えば、「頑張れ」という本来励ましの意味で使われる言葉が、時として人を突き放すような感覚を覚えると、作中で語られる。
「頑張れ」と言われても、何を頑張ればいいのか分からない。話し手にとっても、あなたの代わりになることはできない(助けられない)から「頑張れ」としか言いようがない。
つまり、同じ言葉でも、話し手や聞き手の気持ち次第で、ポジティブにもネガティブにも捉えることだってあるのだ。
それゆえに、言葉が獣のように襲い掛かることだってある。
特にネットのような匿名で発言ができる場所では、なおさらである。
過去に書いた読書記録に対して「通販サイトのレビューを見て書いたような記事だ。それでも読書家ですか?」とコメントされた件を覚えている。
確かに、私は著者の伝えたいことをほとんど理解していないかもしれない。だけど、それをわざわざご丁寧に伝えなくてもいいではないかと思った朝。
ただこれも、私がネガティブに捉えているだけかもしれない。
自分にとってマイナスな言葉をすべて受け止める必要はないにしても、言葉の真意を理解するよう努めることはできる。
言葉の生息地で獣たちがやることにはすべて意味がある。それを考え続けなければいけないんだよ。
言葉の先にいるのは獣ではなく、感情を持った人である。
全肯定する必要はないにせよ、その考えはどこから来るのだろうかを踏まえて、言葉を読むことはできる。
さっきの件でいうと、「自分は誰よりもその作家の意図を理解している」と豪語するような人だった。
真剣に本を読んでいない私に対して、もっとしっかり作品を味わえと、その人なりに伝えたかったのかもしれない(もちろん、単なる私への当てつけかもしれない)。
それに、大多数は素敵な言葉を使う人達だ。
どんな言葉を使ったら自分が傷ついてしまい、どんな言葉を投げかけたら相手を傷つけてしまうかを知っている。
だから安心して言葉を紡ぐことができる。言葉に触れることができる。
美しい言葉に出会いたい。心を震わす作品を読みたい。
だから私も美しい言葉を使いたい。優しい言葉を与えたい。
それが私が本を読む理由。言葉を紡ぐ理由。
……誰かの心に言葉を届けるには、まだまだ遠いけれどもね。改めてそんなことを考えた漫画でした。それではまた次回!
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