見出し画像

乗り物を通して科学や技術に興味を持ってもらいたい

このタイトルは、「私が今やりたいこと」を表した一言です。「交通技術ライター」という肩書きで活動している背景には、常にこの気持ちがあります。

なぜそう考えるのか。今回はその理由について書きます。


■ 科学や技術に対する誤解を解きたい

まず結論から言います。

私が「乗り物を通して科学や技術に興味を持ってもらいたい」と考えるのは、微力ながら科学や技術に対する誤解を解くきっかけをつくりたいからです。

私は元技術者です。大学や大学院で工学を学び、メーカーで研究開発に携わってきました。

このような経験があるゆえに、「科学や技術は誤解されやすい」と感じています。なぜならば、それらに関する論理の飛躍や破綻が生じている情報が、あたかも正しいことのように扱われているのをたびたび目にするからです。

もちろん、私は自分の知識のすべてが「正しい」とは思っていません。個人が把握できる知識の量には制限がありますし、「正しい」とされることは時代によって変化するからです。

ただし、少なくとも高校で習う理科の内容と合致しない情報は、おかしいと言わざるを得ません。また、乗り物の情報であれば、輸送の安全という根幹となる考え方が欠落していれば、その時点でアウトです。

それゆえ、誠に僭越ながら「こう考えたほうがより正確なのでは?」とご提案したいのです。

■ 誤解の背後にある期待

科学や技術に対する誤解が生じる背景には、それらに対する多くの人の高い期待があると私は考えます。

とくに日本は、科学や技術に対する期待が高いのではないでしょうか。

第二次世界大戦後に急速に経済成長したときは、「科学や技術によって生活が豊かになる」ことが実感できました。また、バブル期あたりには日本の一部の技術(例:自動車・半導体)が世界を席巻したことから、「日本の技術は世界一」とマスメディアが煽り、多くの人がそれを信じました。

これらの話は「昭和の思い出」です。残念ながら、現在は通用しません。

かつては、家電量販店に並んでいる製品や、人々が持つ携帯電話のほとんどが国産でした。現在はそうではないことは、説明するまでもないでしょう。

それでも日本では、多くの人が科学や技術に対して高い期待を持っていると私は感じます。毎年10月になると、マスメディアがノーベル賞の詳細を報じ、多くの人がそれに関心を持つことがすっかり慣習となっているからです(ノーベル賞の対象は自然科学だけではありませんが)。

■ 完璧なんかない

高すぎる期待は、科学や技術の発展の妨げになる恐れがあります。なぜならば、科学や技術には、期待すればするほどわからなくなる部分があるからです。

その例をご紹介しましょう。

科学や技術は完璧ではありません。
科学は万能ではなく、100%完成した技術は存在しません。

このことは、科学者や技術者の人たちにとっては当たり前のことでしょう。というより、それを前提としないと仮説を立てて検証することができません。それゆえ、科学や技術に対して誠実な人ほど、わからないことに対して「わからない」とはっきり言います。

いっぽう、科学や技術に高い期待をする人にとっては、この考え方は受け入れがたいでしょう。「専門家なのにわからないとはどういうことだ」と不満を感じる人もいるでしょう。

これは、先述したように、「期待すればするほどわからなくなる部分」があるからです。

だから誤解されてしまう。わかりやすい話が正しいと思われてしまう。私はそう感じています。

また、このような誤解は、科学や技術の発展の妨げになると私は危惧しています。大学や研究機関で行われている研究が一般の人に正当に評価されないことは、そのための予算が削られる要因になるからです。

■ 日本の科学リテラシーは低い?

さて、みなさんは科学リテラシーという言葉をご存じでしょうか? これは、かんたんに言うと科学に関する知識や能力を活用する力のことです。科学の情報の正確さを見抜く力と言ってもいいでしょう。

日本は、残念ながら科学リテラシーが高い国とは言えません。

国内で開催された科学教育の講演会やシンポジウムでは、「日本の科学リテラシーは低い」「先進国最低レベル」という言葉をたびたび耳にします。また、一般向けの科学雑誌(アメリカの『ナショナルジオグラフィック』、日本における『ニュートン』や『日経サイエンス』のような雑誌)は、アメリカのスーパーマーケットで売られているのに、日本のスーパーマーケットでは売られていない」と、日本の科学に対する意識の低さを嘆く声を聞きたことがあります。

なぜ日本では、科学リテラシーが低いのでしょうか?

それは、「専門家(科学者・技術者)」と「一般の人」の間の大きな壁があり、認識のギャップが生じているからだと私は考えます。

■ 両者をつなぐ「翻訳者」

このような壁をなくし、認識のギャップを埋める活動として、「サイエンスコミュニケーション」があります。「サイエンスコミュニケーション」とは、一般の人の科学に対する意識を高める活動で、専門家が科学の話をする、もしくは実験をしてその様子を見せるなど、さまざまな手法が使われています。

「サイエンスコミュニケーション」を実現するには、専門的な話を一般向けにわかりやすく噛み砕いて説明する「翻訳者」が必要です。日本では、このような「翻訳者」のことを「サイエンスコミュニケーター」または「科学コミュニケーター」と呼ばれています。

現在の日本では、こうした「翻訳者」を育成する動きがあります。

ところが、私が大学や大学院にいたころ(1990〜1996年)は、まだその動きがありませんでした。当時の日本では、「サイエンスコミュニケーション」や、それをうながす「翻訳者」の必要性がほとんど認識されていなかったからです。

このため当時の私は「翻訳者」になりたかったのになれず、大学院修了後にメーカーに入り、技術者になりました。「技術者よりも翻訳者のほうが自分に向いているかも」と思ったものの、それが職業として成立していなかったので、やむなく普通に就職したのです。

■ 乗り物を入口にした「翻訳者」

現在の私は、乗り物を通して技術の紹介する「翻訳者」として活動しています。メーカーを辞めて独立してから、今年で20年となります。

テーマとして乗り物を選んだのは、多くの人が関心を持ちやすく、科学や技術を知る入口になりやすいと考えたからです。

ただし、そのためには、それまでの専門だった化学からいったん離れ、土木・機械・電気をはじめとする交通を支える工学分野を学び直す必要がありました。

また、幸いにして交通の各分野の技術者と出会うことができたため、それらの人たちの協力を得て、交通に関する技術を一般向けに翻訳する活動を始めました。

もちろん、私は組織に属さない個人事業主であり、社会的にはほぼ無力に等しいので、自分の活動が日本の科学リテラシーの向上につながるとは到底思っていません。

ただ、「翻訳者」が今後増え、科学や技術に対する誤解が少しずつ解かれるきっかけになれたらいいなと思い、今日も原稿に向かっています。


いいなと思ったら応援しよう!

川辺謙一@交通技術ライター
よろしければ、サポートをお願いします。みなさんに楽しんでもらえるような記事づくりに活かさせていただきます。