数学嫌いの人間でも理系に進める
数学嫌いでも理系に進学できる
今年も共通テストの時期がやってきましたね。
受験シーズンの到来です。
今回は受験生のみなさまや、いま試練のときを迎えている方にエールを送るつもりで書きます。
まず、結論から言います。
数学嫌いの人間でも理系に進学できます。
ただし、ちょっと努力と時間が必要です。
それをいとわなければ、理系進学も夢ではありません。
なぜそこまで言うのかと言うと、私自身がもともと数学が嫌いで、理系に進学した人間だからです。
実現の鍵は「あきらめないこと」です。
高校時代に強いられた「苦行」
私は高校時代に数学が苦手で、嫌いでした。
それは、数学の授業が私にとって「苦行」で、耐え難いものだったからです。
入学した高校は、県内でそこそこ知られた進学校で、「数学を制する者は大学入試を制する」と言うかのように、数学教育に力を入れていました。
たしかに、数学は重要な学問の一つです。将来数学を駆使する学問を学ぶためだけでなく、情報を整理して思考し、結果を出すという基礎的なトレーニングにもなるからです。
ところがこの高校は、その意味を教えず、ひたすら「数学を学べ」と押し付けてくる傾向がありました。「数学ができない生徒はこの高校にはいられない」というような雰囲気すらありました。
私はその雰囲気になじめず、高1の1学期で数学で挫折。最初に習う数Iでつまづいて以来、数学の成績は低空飛行。抜き打ちの小テストの点数があまりにも低いゆえに、授業中に教室の前で正座をさせられたこともありました(今なら懲罰的教育として問題になりますね)。
それゆえ、私はすっかり数学が嫌いになりました。また小テストの結果次第で正座をさせられると考えると、数学の授業はまさに「苦行」そのものでした。
それでも理系進学を目指す
ただし、当時の私には、技術者になりたいという夢がありました。私は子どものころから工作や実験が好きで、得意だったので、将来はそれを活かせる職業に就きたいと考えていました。
また、今考えるととんでもないことですが、進学先を東北大学工学部に絞っていました。たまたま高校時代に読んだ本の著者が、そこの教授だったからです。
私はその本を読んでこう思いました。
発想が単純ですね。
それは、情報の入手が今よりはるかに困難だったからでしょう。当時はパソコンはあったもののスマホはなく、インターネットが普及してしませんでした。それゆえ、一般の人が大学で行われている研究の内容を知るのは容易ではありませんでした。
ただし、数学が苦手な当時の私が東北大学工学部に入るのは不可能でした。ここは全国から数学を得意とする猛者たちが集まる難関大学の理系学部。私が入る余地なんてあるはずがありません。
それゆえ、当然のごとく最初の受験に失敗。1年間の浪人生活に入りました。
予備校で出会ったユニークな講師
浪人生活は、今思えば実りが多い期間でした。通った予備校の授業が楽しく、たくさんの知識や考え方を吸収することができたからです。
とくに数学の授業は、刺激的でした。
その予備校には、数学の面白さを伝えてくれるユニークな講師たちがいました。どんな代数幾何の問題も3行で解いてみせると豪語する。参考書には載っていないクールな解き方を教えてくれる。大学レベルの解き方を教えてくれる。そのような講師たちがいたのです。
そのおかげで、私は好奇心を刺激され、数学が好きになりました。また、ゲーム感覚で数学の問題に向き合う余裕もできてきました。
気がつけば、数学が得意科目になり、成績全体を押し上げる武器になりました。模試の成績はグイグイ伸び、志望校が射程範囲に入りました。
バリバリの理系人間になる
その後、幸いにして東北大学工学部に無事合格。念願を果たしました。
以上の経験から、たとえ高校時代に数学が苦手であっても、大学の理系学部に進むことは可能だと私は考えます。
なお、私は大学と大学院で工学を学んだあとにメーカーに就職し、技術者になりました。2004年に独立してからは、乗りものの技術を一般向けに翻訳・紹介する仕事を20年以上続けてきました。
まぁ経歴から言えば、バリバリの理系です。
ただし、私は経験上、数学が苦手な人の気持ちがよくわかります。それゆえ、今はできるだけ数式を使わずに技術を解説しようと日々試行錯誤しています。
必要なのは「あきらめの悪さ」?
気がつけば、大学入学から35年が経ちました。
その間に大学入試の制度や、それを取り巻く環境が変化しました。35年前と今では異なる点も多々あるでしょう。
ただ、昔と変わらない点もあるはずです。
私の場合は、よい意味での「あきらめの悪さ」ゆえに、数学嫌いを克服し、理系進学を実現しました。
それゆえ、「あきらめなければ、意外となんとかなる」と楽観的な思考が、現在にも通用するのではないかと私は考えます。
この話が、受験、またはそれ以外の試練に立ち向かう人にとって、少しでも支えになれば幸いです。