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暇は文化を生む

こんにちは。フリーランスのライターの川辺謙一です。

今回は「暇(ひま)は文化を生む」という話を書きます。

ちょっとした息抜きになる記事として、お楽しみいただけたら幸いです。

■ 仕事が終わってわかる暇の大切さ

みなさんは、「暇」というとどのようなイメージを持つでしょうか?

おそらく忙しい日々を送られている方のなかには、「そんなものはない」「無駄な時間」と思う方もいるかもしれません。

たしかに、「仕事や学習をしていない非生産的時間」ととらえるならば、ネガティブなイメージを持つ人がいても不思議ではありません。

いっぽう私は、「考える時間」としてポジティブなイメージを持っています。

現在の私は一時的に「暇」になり、その大切さをしみじみと感じています。長い時間をかけて制作した本が先月無事に書店に並び、ようやくひと息つき、ふだん考えないことを考える余裕を持てるようになったからです。

■ 大学に貼られていたビラとの出会い

私はこのときを迎えて、ふと「暇は文化を生む」という言葉を思い出しました。

この言葉と初めて出会ったのは、今から30年以上前の大学3年生の4月でした。

当時は、大学に新入生が入ったこともあり、各サークルが新入部員を募集するビラを大学構内の至ることに貼っていました(現在はビラを貼る位置が指定されているようです)。

私は、ビラが貼りつくされた講義棟の廊下を歩いていたとき、あるビラのキャッチフレーズに目がとまりました。

そのキャッチフレーズが、「暇は文化を生む」だったのです。

このビラは、某同好会が発足したばかりのときに作成したもので、「新入部員募集」という文字とともに、説明会の日時・場所が記されていました。

興味を持った私は、その説明会に出席し、某同好会の発起人であるH君(当時2年生)の話を聞きました。どうも「暇だから何か面白いことをやろう」と思い、同好会を立ち上げたようでした。

【補足】当時この大学には「教養部」というものがあり、全学部の1・2年生が同じ場所で授業を受けていました。「教養部」は授業の密度が低く、時間にとても余裕があるので、多くの学生がサークル活動やアルバイトをしていました。なお、現在この大学には「教養部」はなく、1年生から学部に応じた実践的な授業を受けているようです。

■ 無駄ではなかった大いなる無駄

結局私は、日々課題に追われる3年生だったため、この同好会に入りませんでしたが、H君たちのユニークな活動に注目していました。それは、自分が1・2年生のころにやろうとしていたことと似ていたからです。

私は、1・2年生のころに「大学生活があまりにも暇だ」と感じたため、サークル活動や同人活動をやり、有志で大学のミニコミ誌を立ち上げるなど、勉学とは関係ないことに時間を費やしていました。

はっきり言うと、大いなる無駄です。私が3年生以降に学んだ工学とはまったく関係がありません。

ただ、もしこの経験がなかったら、現在の私は本を書くという、文化の一端にふれる仕事はしていなかったでしょうし、わざわざこうしてnoteを書くこともなかったでしょう。

■ この言葉の出典は?

それから30年以上経ち、今になって「暇は文化を生む」という言葉をふと思い出しました。

それにしても、これはなかなかの名言です。

どうもH君が考えたようですが、大学生が考えるキャッチフレーズにしては出来すぎています。また、H君は哲学や心理学を扱う文学部ではなく、私と同じ工学部に所属していたので、どこかの専門書から引用したとも考えにくいです。

そこで、インターネットで調べてみたのですが、残念ながらこの言葉はヒットしませんでした。その代わり、「暇と退屈はちがう」「考えるには暇でなければならない」といった興味深い情報を得ることができました。

私は哲学や心理学などの専門家ではないので、「暇」に関する詳細な情報をみなさんにお伝えすることはできません。

ただ、現在の私は、過去の経験によって「忙しさを口実にして考えることを先送りにしてきた」と後悔しており、「考えるためには暇が必要である」と感じています。

みなさんは、「暇」についてどう考えますか?

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