テレマークスキー文学の最高峰『魔の山』
トーマス・マンの『魔の山』。このあまりにも有名な小説を、私は「テレマークスキー文学の最高峰」と勝手に認定しております!(ただしこの文章の最後に注意事項あり)
テレマークスキーとは、クロスカントリースキーのように、かかとが外れているスキーです。雪山を歩いたり登ったり滑ったりする山スキーに適しています。斜面を滑り降りるときは、両脚に前後差をつけたテレマークターンという独特な技術を用います。日本にも少数ながら根強い愛好家がいる。私もそのひとりです。
『魔の山』の後半、第六章には「雪」という一節があります。
主人公のハンス・カストルプはスキーを入手。一人で練習を重ね、わりと早いうちにテレマークターンまで習得します。運動神経が良い方だと思われます。
そしてある日、ハンス・カストルプはひとりで雪山に入っていきます。かかとが固定されていないスキーなので、登ったり滑ったりと自由自在です。
ここからの場面は、間違いなくこの小説のクライマックスでしょう。ハンス・カストルプは吹雪に襲われ、方向感覚を失います。朦朧とする意識。やがて時間の感覚すら薄れる。そして彼が見たものは…。まるで夢のような光景でした。素敵な夢であり、かつとんでもない悪夢でもあります。主人公の転機を象徴する場面です。
特にわたしが強調したいのは、この章が山スキーの楽しさと怖さの二面性を見事に描いているということです。
スキーという「翼」を持つことによって雪山で「独立自由な放浪」が可能になる喜び。一方で雪山には「完全に抱擁し合えば身の破滅となる」ほどの危険があることも嫌というほど描写しています。
雪の結晶についても、最上級の宝玉のように美しいことを称賛する一方で、「徹底的な規則正しさ」が不気味で、「反有機性」と「生命への敵対性」がつきまとうと指摘しています。生命を構成する物質はここまで整然とはしていない。雪の結晶には「死の秘密」があるというのです。
(太字「」内は新潮文庫のトーマス・マン『魔の山』(下)高橋義孝訳からの引用です。)
おそらく雪山に登る人は、この危うさとセットになった複雑な美しさ、楽しさに魅かれているのではないでしょうか。
わたしはもう長い間、雪山は登らず、テレマークスキーを滑るのもゲレンデばかりですが、『魔の山』のこの章を読むと、また雪山に分け入ってみたくなります。素晴らしい小説です。
ただし、本を閉じて冷静になると、やっぱりひとこと言いたくなる。「ハンス・カストルプよ、初心者なのに一人で雪山に登るな」。
服装は羊毛のチョッキを1枚着ているだけの軽装。食料もチョコレート少々とポートワインの小瓶しか持っていなかったようです。しかも遭難してからワイン飲んでさらに体調悪くなっているし。真似しちゃいけないことが多いです。
みなさん、雪山は十分準備して、特に初心者のうちは信頼できる同行者と一緒に登りましょう。