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命の尊厳と日本の寛容性

インドシナ難民と日本の対応

1975年のベトナム戦争終結後、インドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)からの難民流出は、世界中に衝撃を与えた。新しい政権下での迫害や将来への不安から逃れるため、多くの人々が小舟に乗り、命の危険を冒して海を渡った。この時、日本は国際社会の一員として大きな責任を担い、数多くの難民を受け入れる決断をした。特に兵庫県姫路市や神奈川県大和市に設置された定住センターは、日本の寛容さと国際協力への強い意志を象徴している。これらのセンターでの生活を通じ、難民たちは日本語教育や健康管理のサポートを受け、新たな生活の基盤を築いていった。

新しい国際協力の展開

ニュースによると、2024年3月20日、政府は少子化の影響による人手不足問題に対処するため、外国人留学生を日本の高校に招き、彼らの大学進学や地元企業への就職までを支援するという、前例のない取り組みを開始した。インドネシアからの留学生二人がその第一号として姫路女学院高校に入学し、このプロジェクトは国や自治体との連携のもと進めらる。この取り組みは、将来的に日本社会で活躍する新たな力として、彼らを受け入れ、支援することを目的としている。

姫路と藤沢での学び

私のふるさとである姫路は、日本で最初にインドシナ難民の定住センターが設置された場所である。また、日本で2番目に彼らの定住センターが設置された大和市と隣接する藤沢での長い学生生活は、多様な文化との接触を通じて、人種や国籍を超えた共生の重要性を深く理解する機会となった。これらの経験は、互いを理解し、異文化を尊重することの大切さを私に教えてくれた。そして、私たちがその異文化を理解し、取り入れることによって、日本の固有の文化がさらに洗練されていくのではないだろうか、と考えるようになった。

日本の光と寛容性

日本がアジアのみならず、世界でさらに輝くためには、私たち一人ひとりが異文化を理解し、寛容な心を持つことが求められる。私たちが命の尊さを共有し、相互に尊敬し合うことで、多様性を社会の力に変え、より良い未来を築くことができるのではないだろうか。私は、姫路や藤沢での経験を活かし、人種に関係なく共生できる社会を実現し、私たちが持つ固有の価値をシナジー(相乗効果)させることを目的に、これからも歩みを進めていきたい。

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