一撃一冊‼️その2
過去に読んだ本、又は現在読んでいる本の中で特に心に刺さった本を不定期でご紹介。
谷沢永一『人の世を見さだめる』
私という人間はどうも本を通して自らの無知さについて怒られる事を無意識に欲している様で、歯に衣着せぬ辛辣な言葉で綴る谷沢永一や最終的に自ら考えろと読者を突き放す池田晶子に好感を抱く傾向にある。
無意識に怒られる事を欲するとはマゾヒズムの何物でもないが、谷沢による辛辣な人生論は胸の内にある鬱屈した想念の靄みたいなものを見事に晴らせてくれる。
本書で一貫して言っているのは
「生きてゆく上において自分自身を律する事に執心する」
という事である。自己愛、嫉妬、虚栄、優越感を律する事。それらが一切の修行なのである。
①「人の世で常に最も嫌われるのは、我が知恵 を誇り顔に披露する優越の姿勢である」 ②「人間は何故、忠告したがるのか?自分を優位に置く楽しみに耽りたいからである」 ③「人間の知恵は露出してしまうと知恵でなくなる」 ④「余程の強い制御力を発揮しない限り、人間は自然に何時の間にか自分自身を話題の中心に据えたがる。そこが弱みであり付け込まれる隙だ」 ⑤「人望を獲得する為の三大戒律=無欲、謙虚、親切である」
傾聴すべき至言である。そして私自身、最も配慮が足りない部分でもある。こうも舌鋒鋭く的確に指摘されると、頭を垂れて足元を見つめるしか術は無い。
しかし、ここで終わらないのが谷沢の真骨頂である。
一見、我々が安心して受け入れてしまいがちな「公平、平等」という言葉に対しても悪知恵だと切り捨てる。
正しいか正しくないかには常に「条件と範囲」を考慮せねばならず、それらを考慮せずに絶対的に正しいと言うのはイデオロギーで絶対的に公平と言うのはデマコギーであると言う。
如何にも右寄り思想の谷沢らしい言動ではあるのだが、その言葉には巨木の様な揺るぎ無い説得力があると思う。
又、谷沢は我々が無条件で良いと思っている「読書」に対しても辛辣で、書物から得られる代理経験を容易に認めない。自らの経験を省察する眼と代理経験である書物に触れる眼の2つの眼を持って初めて知恵の原資となると喝破する。
「読書」に対して辛辣な態度を見せつけられたのはショーペンハウエル『読書について』以来だったが、改めて「読む」とは何かと言うことを自ら問いただす良い機会になった事は確かである。
今まで人生において迷いが生じた時やモヤモヤした時に何度も書棚から出しては耽読し、その度に怒られ突き放され続けてきた本書。
自らにとっての「良書」とは、この様な類いの本の事を言うのかも知れない。