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note更新忘れから、習慣スイッチを知ってしまった

今日は夕方にnoteの更新をするつもりが、すっかり忘れていた。

土曜日なのにいつもより早く出勤せねばならず、習慣が崩れることは事前に分かっていたはずなのに、すっかりその対策をし忘れた。
いつもは5時に起きて書き終えて出勤するか、少なくとも下書きを8割程度は終わらせてしまうのだけれど、今日はそうもいかなかった。京都から大阪に着いて直行で職場に向かわなければいけない程だったから、後で書くしかないなと思っていたのだけれど、仕事が終わる頃にはすっかり忘れていた。
という言い訳も多分に含みながらだけれど、実は習慣ってすごいってお話。


習慣って怖いもので、今朝、電車の中でも書いていない自分がすごく……気持ち悪い感じがしていた。
電車は読書の時間にあてているのだけれど、今日はあえて(そう、あ・え・て)午前中は書くことを考えないぞっと決めていたのに、まったく読書が進まない。
今から出勤するにもかかわらず、書かないことも、それにウォーキングも出来ない(毎朝2~3駅程歩いている)ことにも、もぞもぞっとした違和感がどうしても脳に残ってしまうのだ。

そのまま職場に到着した時は、
大事な日なのに大丈夫かな……
と、心配になる程だった。

けれど、今日は忙しかったこともあり(いつもはもっと自由に仕事をしている)、仕事中は一切書くことを考えなかった。それは幸いだった。


そして、夕方。
すっかり忘れていた。

またまた言い訳をしておくと、全く考えていないと言うのも、きっと習慣の一つなのだ。
と言うのも、出勤の日は昼までに投稿した後、夜は書くことを一切考えないようにしている。だから、その癖がもうしみついてしまっているのだろう(まだ2週間ほどだけど、感覚的にたぶんホント)。

そして、いざ夜から書き始めようとしても、やっぱり、なかなか書く気持ちになれなかった。
あんなことあったな、こんなことがあったな、今日忙しかったなとか、そんなことは思い浮かぶのだけれど、ボヤっとした頭で書こうと思っても整理がつかない。

でも、ふと、朝のもぞもぞしていた理由に気付いてしまった。
朝と夜が逆転してしまうのではないかと、恐怖だったのだ。

だから、考えた。
朝の状態に近づけたら、少しすっきりするんじゃないか。脳が朝と勘違いしてくれはしないだろうかと。

って考えると、スグに朝の習慣を思い出した。
それがこちら↓

知人が平日限定で毎朝流している掃除と炊事をしている様子をただただ流しているだけの動画。これをいつも朝に見ながらnoteの下書きを作成する。
その動画は録画されていて後からでも見られるのだ。

思い付きだけれど、それを流してみることにした。
ちなみに、もう22時を過ぎているけれど、横では朝5時ごろの動画が流れている。

すると、まどろみの中にあった頭が次第にすっきりしてくるのだ。
自分でもとりあえず机に向かって書いてみようと、そんな気が起こったのだから、不思議だ。やっぱりこれも、脳の習慣化の一種なのだろうか。
毎日見ている動画を見ながら、タイピングが進んでいる。おはよーと言う声を聞きながら、タイピングのカタカタカタカタが心地よい。
もやっとしていたのがうそのようだけれど、今はタイピングが進んでしまう。

画面の向こうでも、猫がカメラにおしりを向けてニャーと応援してくれている(はず。笑)。

習慣が崩れることが事前に分かっていれば、出来るだけ事前に対策するようにしているのだけれど、どうしても事前準備を忘れてしまうこともある。コツコツ努力を重ねるようにはしているけれど、元が怠けものな性格だったりもするから、うっかりすることもある。実際、その性格を律するために書いている節もあるのだけれど……。

でも、今回は習慣化の恐ろしさと、同時に素晴らしさと言うか、習慣化しておくことで、対策を立てることが出来るのかと言うことも学んだ。
今日は少し荒療治的になってしまったけれど、でも、今更どうにもならないこと嘆くより、こうして実験的に習慣化を試せて良かったと、思ってしまうのだ。

けれど、ちょっと行き当たりばったり過ぎたかもしれない。
なんせ、頭が覚醒してしまって、今から寝られるのかがまた、心配になって来た。汗 

それはさておき、習慣化って、あくまで習慣を続けることに意味があり、それがある意味、習慣に関わる答えの全てだと思っていた。けれど、今回はそれだけでなく、習慣自体が習慣を続けるスイッチになり得ると言うことを知った。

きっと眠るための習慣スイッチも、私の中のどこかにあるはずなのだけれど……

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